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戦争はサイバー攻防に? [読者の皆さんと考える]

プリンさんへ。
河東碧梧桐に対して、特に思い入れはありません。
広島で被爆した梧桐に対しては、少し思い入れがありますが。

 ――なおぼんさんのblog「wawabubu(なおぼん)のblog」の「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に私は以前、そう書かせていただきました。
 そして当塾の「梧桐という筆名の由来」の頁にも先日、その旨を転載させていただいたのです。
 するとその頁に、なおぼんRさんが次のようなコメントを書いてくださいました。なおぼんRさん、どうもありがとうございます。

こんばんは
ご無沙汰しています。
この件もずいぶん前の事でしたね。
プリン閣下とは私がブログを始めたころからのお付き合いです。
お互い会ったこともない仲ですが、趣味は合うのでよくコメントのやり取りをしております。
戦争の話題も多い、私のブログですが、一貫して「戦争を二度と起こしてはならない」という考えで書いています。
戦争は、人を変えます。
善良な人が、闇黒の魔性を現わしてしまう。
農家でこつこつと作物を育てている人が、兵隊にとられ、戦地で言葉の分からぬ異人を刺し殺す…
現地の軍人でない人の物を奪い、女を犯す、そして虫けらのように殺してしまうのです。
こんな恐ろしい戦争を二度としてはいけない。
私の戒めです。

 戦争に関して私は最近、考えていることがあります。
「武器などの軍事力によって相手の国土や国民を物理的に攻撃する形での戦争は今後、行なわれる機会が減っていくのではないだろうか」ということです。

 先進国や新興国における人々の経済活動や生活は最近、かなり情報通信インフラに依存するようになりました。
 ですから他国の情報通信インフラに対してサイバー攻撃を行ない損傷させると、かなりの損害を相手の国に対して与えることができます。
 しかし「軍事力によって相手の国土や国民を物理的に攻撃する形での戦争」を行なうのに比べれば、国際社会や第三国などから受ける非難は少なくて済む可能性があります。
 なので今後「軍事力によって相手の国土や国民を物理的に攻撃する形での戦争」は行なわれる機会が減り、かわりに相手の国の「情報通信インフラに対してサイバー攻撃を行ない損傷させる」形での戦争が増えるのではないかと考えたのです。

「戦争は~」の続きを読む


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ハードボイルド純愛論 [読者の皆さんと考える]

 当塾では「純愛論」と題して、ハードボイルド論を連載しています。
「ハードボイルドは愛だ」と、そこでは唱えさせていただいております。
 その旨を先日、なおぼんさんのblog「wawabubu(なおぼん)のblog」のうち「はぁどぼいるど・なおぼん」と題された頁のコメント欄に書かせていただきました。
 すると同じ頁のコメント欄に、なおぼんRさんが以下のようなコメントを書いてくださったのです。なおぼんRさん、どうもありがとうございました。

梧桐渉様 おはようございます
レイモンド・チャンドラーですね。
「優しくなければ生きている資格がない」ってやつ。
愛は西洋では、非常に熱を帯びて語られる。
神の愛、人類の愛、大自然の愛…
アガペーとエロース、フィリアとストルゲー
ところが日本には大した愛の分類はない。
だからといって日本人が愛に乏しいのかというとそうではない。
色や空模様に細かい分類をし、名前を付ける日本人が愛についてはあまり語らない。
ハードボイルドはやはり、欧米の文化を色濃く反映し、騎士道精神とジェントルマンの美学が醸し出す善と悪…そんな感じでしょうか。
ハードボイルドにはやはり人間の弱さが裏にあると思うのです。
それは愛を死守せんがために、自らを犠牲にする美しさでしょうか?

 やさしくなれなかったら、生きている資格がない――
 レイモンド・チャンドラー作『プレイバック』に出てくるこの科白に関して、「純愛論」では「純愛論.9」の頁で言及させていただいております。
 しかし「純愛論.10」の頁では、次のようにも書かれています。
「ロス・マクドナルドは人と人との愛について、より細かに描きだしたと言えるのでなかろうか。ハメットやチャンドラーなどよりもはるかに細かく、そのひださえをも。」
 さらに「純愛論.24」の頁では、次のように書かせていただきました。

「~純愛論」の続きを読む


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梧桐という筆名の由来 [読者の皆さんと考える]

梧桐さま

河東碧梧桐さんが好きなのですか?

Blog 拝見しました。有難し。

はじめまして
プリン66歳 形式仏教徒なのに
ピューリタンに憧れ
PPMが歌う独立自営農民の姿に
強く共感を抱きます。――

 「プリン」と名のる人がなおぼんさんのblog「wawabubu(なおぼん)のblog」の「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に、そう書いてくださいました。プリンさん、どうもありがとうございます。
 そこで私は同じ頁のコメント欄に、次のように書かせていただきました。

プリンさんへ。
河東碧梧桐に対して、特に思い入れはありません。
広島で被爆した梧桐に対しては、少し思い入れがありますが。
1960年代などのCounter Culture的なものに親近感を抱いておられるのでしょうか。
私も有機農家のお手伝いなどをさせていただいてきましたし。

 するとプリンさんが、やはり同じ頁のコメント欄に次のように書いてくださったのです。

俳句ではなく広島で
被ばくしたアオギリのことだったのですね。

私は1970年に予備校生18歳
ここを基準に前後10年1960-1980の日本が
たまらなく好きです。
ヴェトナム戦争も大学紛争もありましたが
当時の若者たちの情熱は今も色あせない
思い出です。
人間の条件に出てくる梶に憧れております。(引用、ここまで)

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世界平和の夢を追った日 [読者の皆さんと考える]

ウツになる人は、自分を知らなすぎるのではないでしょうか?
「足るを知る」という言葉があるのにもかかわらず、分不相応な目標を立てて、能力不足を顧みず、旧日本軍のように猛進して、やがては自己を見失い、目標すら何だったかわからなくなる。

――なおぼんRさんはblog「wawabubu(なおぼん)のblog」のうち「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に、そう書かれました。
 そこで私は当塾の「大きな夢と取り組む幸せ」の頁に、それを引用した上で次のように書かせていただいたのです。

 だけど私は、思うんですよ。
 目標が決して「それなり」や「そこそこ」ではない大きなものだった場合は、なかなか達成できませんよね。
 だから目標を達成してしまったことによる鬱状態には、陥らずに済む可能性が高いはずだろうと。

 しかも「大きな目標と取り組んでいる人は、達成感を味わえない」とも限っていません。
 なぜならば大きな目標を達成するためには、その途中でさまざまな段階を経ていく必要があるからです。
 そして大きな夢を果たすために乗り越えていくべき一つ一つの段階を実現するたび、手ごたえとしての達成感を味わうことができるからです。

 これは決して、単なる理想論や夢物語の類ではありません。
 なぜならば私自身が今、大きな夢と取り組んでいることによる幸せを実感できているからです。
 そんな自分自身の体験に基づいて「大きな夢と取り組んでいる人は、そのこと自体によって幸せを味わえる」と自信を持ってお伝えできるのです。(引用、ここまで)

 いったいお前は、どういう「大きな夢」に取り組んでいるというのか――
「大きな夢と取り組む幸せ」の頁を読んでくださり、そう思われた方は多いのではないでしょうか。

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