性技を人工知能に教わる? [恋愛実用書などで学ぶ]
坂爪真吾『未来のセックス年表 2019-2050年』SB新書
本書は2019年の3月に出版されました。
2019年の初頭までの状況に立脚し、同じ2019年中から30年後くらいまでにかけてセックスの分野において生じる可能性のある現象を予想して描いています。
たとえば、次のようにです。
すでに実現している、次のような動きも紹介されています。
AIを搭載した人型のセクサロイドについては、2019年現在の時点でも、既に一部の企業で開発が進められている。
アメリカのリアルボティクス社は、ラブドール(セックスを目的として精巧につくられた等身大の人形)の頭部にAIを搭載し、簡単な会話のできるセクサロイドの開発・販売を行っている。スマホで操作できる専用のソフトウェアと頭部を連動させ、表情と音声をつくり出す仕組みになっている。頭部のマスクは着脱可能で、ユーザーの好きな顔を選ぶことができる。ロボットの眼球にはカメラが仕込まれており、顔認証をできるようにする計画だという。
AI(人工知能)については、恋愛や性交に関して次のようなこともできるようになるのではないかと語られています。
ビッグデータの活用と遺伝子解析によって、この相手とこのタイミングで交際・結婚すれば、経済的・身体的・精神的にこのようなプラスとマイナスの変化が起こる、という予測が全て数値で可視化されるようになる。AIの診断を理由に関係を終わらせる「AI失恋」「AI離婚」が流行語になるかもしれない。
あるいは、次のような予想も語られています。
「あなたがこれからセックスしようと思っている相手は、SNS上の発言やフォロワー、友人関係から判断すると、80%以上の高確率で、交際後にDV彼氏もしくは束縛彼氏になることが予想されます」とAIが親切丁寧に教えてくれる。
本書は2019年の3月に出版されました。
2019年の初頭までの状況に立脚し、同じ2019年中から30年後くらいまでにかけてセックスの分野において生じる可能性のある現象を予想して描いています。
たとえば、次のようにです。
- 2025年 セックスレスの夫婦がマジョリティになる
- 2028年 緊急避妊ピルが薬局で買えるようになる
- 2038年 同性婚が認められる。同性カップルも特別養子縁組が可能に
すでに実現している、次のような動きも紹介されています。
AIを搭載した人型のセクサロイドについては、2019年現在の時点でも、既に一部の企業で開発が進められている。
アメリカのリアルボティクス社は、ラブドール(セックスを目的として精巧につくられた等身大の人形)の頭部にAIを搭載し、簡単な会話のできるセクサロイドの開発・販売を行っている。スマホで操作できる専用のソフトウェアと頭部を連動させ、表情と音声をつくり出す仕組みになっている。頭部のマスクは着脱可能で、ユーザーの好きな顔を選ぶことができる。ロボットの眼球にはカメラが仕込まれており、顔認証をできるようにする計画だという。
AI(人工知能)については、恋愛や性交に関して次のようなこともできるようになるのではないかと語られています。
ビッグデータの活用と遺伝子解析によって、この相手とこのタイミングで交際・結婚すれば、経済的・身体的・精神的にこのようなプラスとマイナスの変化が起こる、という予測が全て数値で可視化されるようになる。AIの診断を理由に関係を終わらせる「AI失恋」「AI離婚」が流行語になるかもしれない。
あるいは、次のような予想も語られています。
「あなたがこれからセックスしようと思っている相手は、SNS上の発言やフォロワー、友人関係から判断すると、80%以上の高確率で、交際後にDV彼氏もしくは束縛彼氏になることが予想されます」とAIが親切丁寧に教えてくれる。
不十分な性教育を補う [恋愛実用書などで学ぶ]
坂爪真吾+藤見里紗『誰も教えてくれない大人の性の作法』光文社新書
本書の冒頭ちかくでは、次のように書かれています。
1992年は、日本の「性教育元年」でもありました。80年代後半に起きたエイズパニックの影響で学習指導要領が改訂され、小学校の保健と理科の教科書に「性に関する指導」が盛り込まれるようになりました。5年生の理科の授業ではヒトの発生を扱うようになり、保健の教科書には思春期における身体の発達を説明するため、男女の全裸のイラストが掲載されました。
でも少し先の部分では、次のようにも書かれています。
以前から指摘されていた性教育の「アキレス腱」=最大の弱点が浮き彫りになってきています。その弱点とは、「快楽のための性」を教えられないことです。生理や妊娠の仕組みなどの「生殖のための性」、避妊や感染症といった「セックスに伴うリスク予防」については饒舌に語れますが、若い世代にセックスの面白さや楽しさ、コミュニケーションの奥深さを伝えることに関しては、事実上のお手上げ状態です。
学校での性教育だけでは、ありません。本書ではさらに、次のようにも書かれています。
高校までは、恋愛やセックスは原則禁止だったり、手の届かない高嶺の花だったりしたはずなのに、卒業すると急に「できて当然」「できないやつはダメ人間」という必須科目になる。しかし当然ながら大多数の人にとっては、恋愛やセックスを練習する場もなければ、知識を学ぶ場もない。そうした状況下で、いきなり実践に臨むのは無理に決まっています。学生が性教育で教わるのは、性感染症の予防や妊娠の仕組みなどの医学的な知識だけ。
つきあい始めた彼女のことが好きで、できることならセックスもしたい。でも、どういうふうにやればいいんだろう。セックスできることになった時、はたしてうまくやれるかな――私も若い頃、そんなふうに頭を悩ませていたものでしたっけ。
そこで本書では、「大人の性教育基礎講座」が繰り広げられます。
たとえば共著者の片割れである藤見里紗は、次のように語っています。
本書の冒頭ちかくでは、次のように書かれています。
1992年は、日本の「性教育元年」でもありました。80年代後半に起きたエイズパニックの影響で学習指導要領が改訂され、小学校の保健と理科の教科書に「性に関する指導」が盛り込まれるようになりました。5年生の理科の授業ではヒトの発生を扱うようになり、保健の教科書には思春期における身体の発達を説明するため、男女の全裸のイラストが掲載されました。
でも少し先の部分では、次のようにも書かれています。
以前から指摘されていた性教育の「アキレス腱」=最大の弱点が浮き彫りになってきています。その弱点とは、「快楽のための性」を教えられないことです。生理や妊娠の仕組みなどの「生殖のための性」、避妊や感染症といった「セックスに伴うリスク予防」については饒舌に語れますが、若い世代にセックスの面白さや楽しさ、コミュニケーションの奥深さを伝えることに関しては、事実上のお手上げ状態です。
学校での性教育だけでは、ありません。本書ではさらに、次のようにも書かれています。
高校までは、恋愛やセックスは原則禁止だったり、手の届かない高嶺の花だったりしたはずなのに、卒業すると急に「できて当然」「できないやつはダメ人間」という必須科目になる。しかし当然ながら大多数の人にとっては、恋愛やセックスを練習する場もなければ、知識を学ぶ場もない。そうした状況下で、いきなり実践に臨むのは無理に決まっています。学生が性教育で教わるのは、性感染症の予防や妊娠の仕組みなどの医学的な知識だけ。
つきあい始めた彼女のことが好きで、できることならセックスもしたい。でも、どういうふうにやればいいんだろう。セックスできることになった時、はたしてうまくやれるかな――私も若い頃、そんなふうに頭を悩ませていたものでしたっけ。
そこで本書では、「大人の性教育基礎講座」が繰り広げられます。
たとえば共著者の片割れである藤見里紗は、次のように語っています。
包茎男がヘイト・スピーチ? [恋愛実用書などで学ぶ]
坂爪真吾『孤独とセックス』扶桑社新書
ヘイト・スピーチ、と表現される言動をする人たちがいるようです。
特定の個人や集団などを嫌って、激しく貶す人たちです。
もちろん、特定の個人や集団などを嫌って貶すこと自体は当人の自由です。
思想や言論の自由は、憲法でも保証されています。
しかしヘイト・スピーチをする人たちは対象となる個人や集団を、充分な理由や根拠のないまま嫌ったり貶したりしている場合も多いようなのです。
はたして彼らは、どうしてヘイト・スピーチをするのかな――
このところ私は、そんな疑問を抱いていました。
そんな時に、坂爪真吾『孤独とセックス』を読んだのです。
この本については、当塾の「つながる力を18歳の男子に」の頁でご紹介させていただきました。
「包茎であることがコンプレックスです。(中略)やはり、お金を払って手術したほうがいいのでしょうか?」というような「孤独とセックスにまつわる11の問いと、それらに対する回答」が書かれている本です。
この本の中には包茎の男性が「性経験のある女性」に対するヘイト・スピーチを行なう際の心理を描いてみせているくだりがあります。
少し長くなりますが、引用してみましょう。
孤独の中で性的なコンプレックスをこじらせると、実体験なきミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)の泥沼にはまってしまいます。
ツイッターやウェブニュースのコメント欄、匿名掲示板からまとめサイトまで、ネット上のあらゆる場面に、ミソジニーに囚われた男性たちによる、女性差別極まりないつぶやきや書き込みが蔓延しています。彼らは性経験のある女性を「中古」「肉便器」、専業主婦を「寄生虫」と呼び、日本は女性だけが優遇され、男性が不当に虐げられている「女尊男卑」社会であることを訴えています。
こうしたミソジニーは伝染します。最初は見ているだけの傍観者だったはずが、気がつけば、女性一般に対するヘイトスピーチまがいの投稿やつぶやきを繰り返す当事者になってしまうこともあります。実体の無いコンプレックスに振り回された挙句、同じく実体の無い誰かや何かを叩くことで精神の安定を保とうとする、完全な独り相撲です。
自分がモテない理由を「包茎だから」とコンプレックスのせいにできれば、あるいは女性や社会のせいにできれば、行動をしないための言い訳になります。
ヘイト・スピーチ、と表現される言動をする人たちがいるようです。
特定の個人や集団などを嫌って、激しく貶す人たちです。
もちろん、特定の個人や集団などを嫌って貶すこと自体は当人の自由です。
思想や言論の自由は、憲法でも保証されています。
しかしヘイト・スピーチをする人たちは対象となる個人や集団を、充分な理由や根拠のないまま嫌ったり貶したりしている場合も多いようなのです。
はたして彼らは、どうしてヘイト・スピーチをするのかな――
このところ私は、そんな疑問を抱いていました。
そんな時に、坂爪真吾『孤独とセックス』を読んだのです。
この本については、当塾の「つながる力を18歳の男子に」の頁でご紹介させていただきました。
「包茎であることがコンプレックスです。(中略)やはり、お金を払って手術したほうがいいのでしょうか?」というような「孤独とセックスにまつわる11の問いと、それらに対する回答」が書かれている本です。
この本の中には包茎の男性が「性経験のある女性」に対するヘイト・スピーチを行なう際の心理を描いてみせているくだりがあります。
少し長くなりますが、引用してみましょう。
孤独の中で性的なコンプレックスをこじらせると、実体験なきミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)の泥沼にはまってしまいます。
ツイッターやウェブニュースのコメント欄、匿名掲示板からまとめサイトまで、ネット上のあらゆる場面に、ミソジニーに囚われた男性たちによる、女性差別極まりないつぶやきや書き込みが蔓延しています。彼らは性経験のある女性を「中古」「肉便器」、専業主婦を「寄生虫」と呼び、日本は女性だけが優遇され、男性が不当に虐げられている「女尊男卑」社会であることを訴えています。
こうしたミソジニーは伝染します。最初は見ているだけの傍観者だったはずが、気がつけば、女性一般に対するヘイトスピーチまがいの投稿やつぶやきを繰り返す当事者になってしまうこともあります。実体の無いコンプレックスに振り回された挙句、同じく実体の無い誰かや何かを叩くことで精神の安定を保とうとする、完全な独り相撲です。
自分がモテない理由を「包茎だから」とコンプレックスのせいにできれば、あるいは女性や社会のせいにできれば、行動をしないための言い訳になります。
つながる力を18歳の男子に [恋愛実用書などで学ぶ]
坂爪真吾『孤独とセックス』扶桑社新書
「包茎であることがコンプレックスです。(中略)やはり、お金を払って手術したほうがいいのでしょうか?」というような「18歳の問い」が本書には11個、出てきます。
そしてそれらの問いに対して、たとえば次のような回答が示されるのです。
そもそも日本人男性の7割は包茎と言われています。マイノリティではなく、マジョリティです。そして包皮を手でむける状態であれば、清潔にさえしていれば医学的にも衛生的にも何の問題もありません。
本書の「はじめに」の終わり近くには、次のように書かれています。
他者と関わって傷つくことを恐れ、ちっぽけなプライドを捨てること=等身大の自分を受け入れることを拒否し続けた18歳の私は、孤独という名の殻に閉じこもりました。
さらには「孤独の誘惑と並んで当時の私を苦しめていたのは、セックスの誘惑です」とも書かれています。
そしてその上で、次のように明かされるのです。
本書の目的は、孤独とセックスにまつわる11の問いと、それらに対する回答を通して、他社や社会、そして自分自身と「つながれない」ことで悩んでいる18歳の男子に、「つながる力」を身につけてもらうことにあります。
でもこれは十頁ほどある「はじめに」の終わり近くで、はじめて明かされることです。
『孤独とセックス』という題を見ただけですと「この本は、そういう内容だ」ということが読みとれませんよね。
その点で本書の題のつけ方は、やや読者に対して不親切だという気がします。
どうも坂爪真吾の著書には、そういう例が多いように私には思われるのです。
たとえば当塾の「集団に貢献する人がモテる」の頁では、同じ坂爪真吾が書いた『男子の貞操』という本を紹介しました。
この『男子の貞操』には、若い男子が恋人を得て親しくなるために役立つ知識が書かれています。しかし『男子の貞操』という題からは「この本が、そういう内容だ」ということはわかりませんよね。
「包茎であることがコンプレックスです。(中略)やはり、お金を払って手術したほうがいいのでしょうか?」というような「18歳の問い」が本書には11個、出てきます。
そしてそれらの問いに対して、たとえば次のような回答が示されるのです。
そもそも日本人男性の7割は包茎と言われています。マイノリティではなく、マジョリティです。そして包皮を手でむける状態であれば、清潔にさえしていれば医学的にも衛生的にも何の問題もありません。
本書の「はじめに」の終わり近くには、次のように書かれています。
他者と関わって傷つくことを恐れ、ちっぽけなプライドを捨てること=等身大の自分を受け入れることを拒否し続けた18歳の私は、孤独という名の殻に閉じこもりました。
さらには「孤独の誘惑と並んで当時の私を苦しめていたのは、セックスの誘惑です」とも書かれています。
そしてその上で、次のように明かされるのです。
本書の目的は、孤独とセックスにまつわる11の問いと、それらに対する回答を通して、他社や社会、そして自分自身と「つながれない」ことで悩んでいる18歳の男子に、「つながる力」を身につけてもらうことにあります。
でもこれは十頁ほどある「はじめに」の終わり近くで、はじめて明かされることです。
『孤独とセックス』という題を見ただけですと「この本は、そういう内容だ」ということが読みとれませんよね。
その点で本書の題のつけ方は、やや読者に対して不親切だという気がします。
どうも坂爪真吾の著書には、そういう例が多いように私には思われるのです。
たとえば当塾の「集団に貢献する人がモテる」の頁では、同じ坂爪真吾が書いた『男子の貞操』という本を紹介しました。
この『男子の貞操』には、若い男子が恋人を得て親しくなるために役立つ知識が書かれています。しかし『男子の貞操』という題からは「この本が、そういう内容だ」ということはわかりませんよね。