9番目の夢.26 [20才と31才の恋話]
「先輩は本当に気がついていないんですか」
「気がついていないのかって、いったい何を」
「いいですか。今の夏代が必要としているのは先輩、あなたなんです。今の夏代に何かをしてやれる奴なんて、先輩しかいないんですよ。残念ながら、決してこの俺ではなしにね」
敏男の言葉に驚いたのは昇だ。俺が夏代を必要としているというのなら、それは確かにそのとおりだろう。昇にとっては夏代のいない暮しなど、すでに考えることさえ出来ないのだから。だが逆に夏代が俺のことを必要としているだなんて。およそ考えてみたこともなかった。はたしてそれは本当のことなのだろうか。敏男が何か思いちがいをしているのではなかろうか。
「敏男。お前は本当に、そう思っているのか」
気を取りなおそうと努めながら昇は、かろうじて敏男にそう訊ねる。
「思うも何も、ありませんよ。そんなのは、わかりきったことじゃないですか。夏代は先輩のことを、とても頼りにしています。夏代は何でも俺に話してくれるんだって、いつか先輩も言っていたでしょう」
「確かにな」昇は素直に認めた。「でもそれが、いったい何だって言うんだい。俺はこれまでずっと夏代の相談相手だったし、今でもそうだというだけのことだよ。自分では、なるべく良き相談相手でありたいと願っているけどね」
「先輩も、あいかわらずだなあ」四杯目のバーボンをグラスに注ぎながら敏男が言う。「わかりましたよ。夏代にとって先輩は良き相談相手にすぎなかった。それはまさにそうかもしれません。でもね、先輩。夏代にとって先輩が良き相談相手だったということは、すなわちですよ、とりもなおさず先輩が、夏代に必要とされているということなんじゃないんですか」
「まあ確かに、そういう理屈はなりたつかもしれんな」
「これは理屈なんかじゃありません。先輩、あの年頃の女の子にとって良き相談相手というのが何を意味するか、考えてみてください。あの年頃の女の子は、良き相談相手って奴なしには生きていくことすら出来ないんです。たいていの女の子にとって、その良き相談相手ってのは母親や女友だちだったりするんでしょう。でも御存知のように夏代の場合は、ちょっと事情がかわっていますから。夏代にとっては他ならない先輩が、その役目をはたしているんですよ」
「気がついていないのかって、いったい何を」
「いいですか。今の夏代が必要としているのは先輩、あなたなんです。今の夏代に何かをしてやれる奴なんて、先輩しかいないんですよ。残念ながら、決してこの俺ではなしにね」
敏男の言葉に驚いたのは昇だ。俺が夏代を必要としているというのなら、それは確かにそのとおりだろう。昇にとっては夏代のいない暮しなど、すでに考えることさえ出来ないのだから。だが逆に夏代が俺のことを必要としているだなんて。およそ考えてみたこともなかった。はたしてそれは本当のことなのだろうか。敏男が何か思いちがいをしているのではなかろうか。
「敏男。お前は本当に、そう思っているのか」
気を取りなおそうと努めながら昇は、かろうじて敏男にそう訊ねる。
「思うも何も、ありませんよ。そんなのは、わかりきったことじゃないですか。夏代は先輩のことを、とても頼りにしています。夏代は何でも俺に話してくれるんだって、いつか先輩も言っていたでしょう」
「確かにな」昇は素直に認めた。「でもそれが、いったい何だって言うんだい。俺はこれまでずっと夏代の相談相手だったし、今でもそうだというだけのことだよ。自分では、なるべく良き相談相手でありたいと願っているけどね」
「先輩も、あいかわらずだなあ」四杯目のバーボンをグラスに注ぎながら敏男が言う。「わかりましたよ。夏代にとって先輩は良き相談相手にすぎなかった。それはまさにそうかもしれません。でもね、先輩。夏代にとって先輩が良き相談相手だったということは、すなわちですよ、とりもなおさず先輩が、夏代に必要とされているということなんじゃないんですか」
「まあ確かに、そういう理屈はなりたつかもしれんな」
「これは理屈なんかじゃありません。先輩、あの年頃の女の子にとって良き相談相手というのが何を意味するか、考えてみてください。あの年頃の女の子は、良き相談相手って奴なしには生きていくことすら出来ないんです。たいていの女の子にとって、その良き相談相手ってのは母親や女友だちだったりするんでしょう。でも御存知のように夏代の場合は、ちょっと事情がかわっていますから。夏代にとっては他ならない先輩が、その役目をはたしているんですよ」
9番目の夢.25 [20才と31才の恋話]
「先輩。俺、夏代のことが好きでした。いや、今でも好きかもしれません。好きなんだと思います」
あいかわらず昇の話を聞こうともせずに、敏男は自らの話をつづける。
「敏男。お前、それを夏代にちゃんと話したのか。今でもお前が夏代を好きだっていうことを」
「いいえ。話せやしませんよ、そんなことなんか」
「そりゃあまた、いったいどうして」
「俺にはわかっているんです。夏代は俺のことなんか、必要としてはいないっていうことがね。それを認めてしまうのは俺にとって、とても辛いことですけれど」
「そんなこと、夏代に聞いてみなければわからないだろうに」
「いえ、わかります。現に夏代は、休学したことや勘当されたことだけじゃなく、引っ越したことさえ俺に知らせてくれようともしなかったじゃないですか」
「だからそれは夏代がうっかり忘れていただけだって。そんなことを気にしてちゃあいかんよ。もともと夏代は、ああいう忘れっぽい奴なんだから」
「いいんですよ。気やすめを言ってくださらなくても」
「何をいじけてるんだ。決して気やすめなんかじゃないさ」
「今の俺が夏代に必要とされないのも、ある意味ではしかたがないんです。今の俺は、夏代に何をしてやることも出来ないんですから。夏代が求めているものを、残念ながら俺は決して持ちあわせていないのでしょうね」
「夏代が求めているものって、それはいったい何のことなんだ」昇は訊ねた。
「それが俺には、よくわからないんですよ。わかっているのは、少なくとも俺にはそれがないということだけで」
「そんなのは、敏男がそう思いこんでいるだけに過ぎないんじゃないのか」
「先輩。俺はずっと前から夏代のことが好きだったんです。もちろん他の女の子とつきあったことがないわけじゃありません。でも、駄目でした。夏代ほど好きになれた相手は他にひとりもいなかったんです」
「だったら、なおさらじゃないか。どうして敏男はお前のその気持ちを、夏代に伝えようとはしないんだい」
あいかわらず昇の話を聞こうともせずに、敏男は自らの話をつづける。
「敏男。お前、それを夏代にちゃんと話したのか。今でもお前が夏代を好きだっていうことを」
「いいえ。話せやしませんよ、そんなことなんか」
「そりゃあまた、いったいどうして」
「俺にはわかっているんです。夏代は俺のことなんか、必要としてはいないっていうことがね。それを認めてしまうのは俺にとって、とても辛いことですけれど」
「そんなこと、夏代に聞いてみなければわからないだろうに」
「いえ、わかります。現に夏代は、休学したことや勘当されたことだけじゃなく、引っ越したことさえ俺に知らせてくれようともしなかったじゃないですか」
「だからそれは夏代がうっかり忘れていただけだって。そんなことを気にしてちゃあいかんよ。もともと夏代は、ああいう忘れっぽい奴なんだから」
「いいんですよ。気やすめを言ってくださらなくても」
「何をいじけてるんだ。決して気やすめなんかじゃないさ」
「今の俺が夏代に必要とされないのも、ある意味ではしかたがないんです。今の俺は、夏代に何をしてやることも出来ないんですから。夏代が求めているものを、残念ながら俺は決して持ちあわせていないのでしょうね」
「夏代が求めているものって、それはいったい何のことなんだ」昇は訊ねた。
「それが俺には、よくわからないんですよ。わかっているのは、少なくとも俺にはそれがないということだけで」
「そんなのは、敏男がそう思いこんでいるだけに過ぎないんじゃないのか」
「先輩。俺はずっと前から夏代のことが好きだったんです。もちろん他の女の子とつきあったことがないわけじゃありません。でも、駄目でした。夏代ほど好きになれた相手は他にひとりもいなかったんです」
「だったら、なおさらじゃないか。どうして敏男はお前のその気持ちを、夏代に伝えようとはしないんだい」
9番目の夢.24 [20才と31才の恋話]
グラスのバーボンを早くも飲み干してしまって、敏男は自ら二杯目をついだ。夏代たちと一緒にいた時から彼は、すでにかなりの量を飲んでいることになる。
「おいおい。俺をお前みたいな酔っぱらいと一緒にするなよな」
「そりゃあひどい。まあ、それはともかくとして、夏代がいろいろと話してくれたわけですよ。親から勘当されるに至ったいきさつだとか、引っ越し先の新しい部屋は空気が悪くて住み心地がよくないことだとか。お金が足りなくて、いろいろとやりくりに苦労しているというようなことなんかをね。そんなあれこれから思うに、今の彼女が落ちこんでいないはずはないとしか、俺には考えられないんですが」
「それは夏代が、そう言ったのかい」
「いや。本人はあくまで、今とても幸せなんだって言いはってます。でも今の夏代がおかれている状況を考えると、どうして幸せだなんて言えるのか、俺にはさっぱりわけがわかりゃしません」
「そりゃあ簡単なことさ。毎日のように俺と会えて、一緒に仕事が出来るわけだから。それで幸せなんだろう」しつこくも昇は、もう一度だめ押しをした。
「いったい、どうしたっていうんですか。今日はよっぽどおかしいですよ、その手の冗談を言うなんて。本当に、いつもの先輩らしくもない」
「だから言っているじゃないか。決して冗談じゃないんだってば」
「はいはい、わかりましたって。いい加減にしないと、本気で怒りますよ」
「ごめんごめん。敏男が真面目に話してくれているのに茶化してしまって申し訳ない。じゃあ冗談はさておいて、ええと、どういう話だったっけか」
「夏代って、何ていうか人前では表むき強がって見せちゃうところがあるでしょう。でも本当はすごい淋しがり屋で、本心ではその実けっこう落ちこんでいたりするんですよね。今回もそれなんじゃないかと気がかりでならないんです」
「敏男が夏代のことを気づかってくれる気持ちはよくわかるし、俺としても嬉しいよ」自らのグラスに二杯目のバーボンを注ぎながら昇は言葉を続ける。「でもさ。今の夏代にはまがりなりにも俺が毎日ついていてやっているわけだから。にもかかわらずあまり心配されたんじゃあ、俺の立場がないというものだよな」
「おいおい。俺をお前みたいな酔っぱらいと一緒にするなよな」
「そりゃあひどい。まあ、それはともかくとして、夏代がいろいろと話してくれたわけですよ。親から勘当されるに至ったいきさつだとか、引っ越し先の新しい部屋は空気が悪くて住み心地がよくないことだとか。お金が足りなくて、いろいろとやりくりに苦労しているというようなことなんかをね。そんなあれこれから思うに、今の彼女が落ちこんでいないはずはないとしか、俺には考えられないんですが」
「それは夏代が、そう言ったのかい」
「いや。本人はあくまで、今とても幸せなんだって言いはってます。でも今の夏代がおかれている状況を考えると、どうして幸せだなんて言えるのか、俺にはさっぱりわけがわかりゃしません」
「そりゃあ簡単なことさ。毎日のように俺と会えて、一緒に仕事が出来るわけだから。それで幸せなんだろう」しつこくも昇は、もう一度だめ押しをした。
「いったい、どうしたっていうんですか。今日はよっぽどおかしいですよ、その手の冗談を言うなんて。本当に、いつもの先輩らしくもない」
「だから言っているじゃないか。決して冗談じゃないんだってば」
「はいはい、わかりましたって。いい加減にしないと、本気で怒りますよ」
「ごめんごめん。敏男が真面目に話してくれているのに茶化してしまって申し訳ない。じゃあ冗談はさておいて、ええと、どういう話だったっけか」
「夏代って、何ていうか人前では表むき強がって見せちゃうところがあるでしょう。でも本当はすごい淋しがり屋で、本心ではその実けっこう落ちこんでいたりするんですよね。今回もそれなんじゃないかと気がかりでならないんです」
「敏男が夏代のことを気づかってくれる気持ちはよくわかるし、俺としても嬉しいよ」自らのグラスに二杯目のバーボンを注ぎながら昇は言葉を続ける。「でもさ。今の夏代にはまがりなりにも俺が毎日ついていてやっているわけだから。にもかかわらずあまり心配されたんじゃあ、俺の立場がないというものだよな」
9番目の夢.23 [20才と31才の恋話]
(「9番目の夢.22」を読む)
「先輩、今夜は先輩ん所に泊めてもらっていいですか」
つぐみや夏代たちのことを見送ってから敏男が昇に言う。
「別にかまわんぞ。明日は夏代も俺も仕事が休みだし」
「何だか先輩と語り明かしたい気分なんですよ」
「おう。じゃあ、今ちょうど俺の部屋にバーボンのボトルがあるからさ。それでも飲みながら話そうや」
敏男が昇の部屋で泊まって行くのは決して珍しいことでない。ふたりが連れ立って昇の部屋へと着いたのは、もう0時近くのことだった。勝手知ったる我が家とでも言うかのように、案内もこわず敏男は先にたって部屋のなかへと上がりこむ。
「まあ、そこで座っててくれや。酒はストレートでいいんだろう」
「あ、すんません」
昇はふたつのグラスにバーボンをついで、ひとつを敏男に渡した。
「じゃあ、とりあえず乾杯といこうぜ」
「何に乾杯するんです」敏男がこだわって訊ねる。
「さあな。何でもいいさ。じゃあ夏代の休学と勘当と引っ越しを祝って、ということにでもしておくか」
「それがはたして本当に祝うべきことなのかどうかは、大いに疑わしいような気もしますけどね」
「まだこだわっているのかよ。いいじゃないか、本人がちっとも落ちこんでいないんだから。俺たちが端でとやかく言ってみても、はじまるまいて」
「本当に落ちこんでいないんでしょうか。僕にはどうしても、そう思えないんですけど」
そう言って敏男はグラスのバーボンを、ひとくち飲みくだした。乾杯をするという話は、いうの間にやらうやむやになってしまったらしい。
「ふうん。じゃあ敏男は何か、夏代が落ちこんでいないように見えるのはただ表むきの見せかけだけで、本当は落ちこんでいるはずだとでも言うのかい」
自らもバーボンに口をつけながら昇が訊ねる。
「ええ。どちらかというと、そうじゃないかと思っています」
「先輩、今夜は先輩ん所に泊めてもらっていいですか」
つぐみや夏代たちのことを見送ってから敏男が昇に言う。
「別にかまわんぞ。明日は夏代も俺も仕事が休みだし」
「何だか先輩と語り明かしたい気分なんですよ」
「おう。じゃあ、今ちょうど俺の部屋にバーボンのボトルがあるからさ。それでも飲みながら話そうや」
敏男が昇の部屋で泊まって行くのは決して珍しいことでない。ふたりが連れ立って昇の部屋へと着いたのは、もう0時近くのことだった。勝手知ったる我が家とでも言うかのように、案内もこわず敏男は先にたって部屋のなかへと上がりこむ。
「まあ、そこで座っててくれや。酒はストレートでいいんだろう」
「あ、すんません」
昇はふたつのグラスにバーボンをついで、ひとつを敏男に渡した。
「じゃあ、とりあえず乾杯といこうぜ」
「何に乾杯するんです」敏男がこだわって訊ねる。
「さあな。何でもいいさ。じゃあ夏代の休学と勘当と引っ越しを祝って、ということにでもしておくか」
「それがはたして本当に祝うべきことなのかどうかは、大いに疑わしいような気もしますけどね」
「まだこだわっているのかよ。いいじゃないか、本人がちっとも落ちこんでいないんだから。俺たちが端でとやかく言ってみても、はじまるまいて」
「本当に落ちこんでいないんでしょうか。僕にはどうしても、そう思えないんですけど」
そう言って敏男はグラスのバーボンを、ひとくち飲みくだした。乾杯をするという話は、いうの間にやらうやむやになってしまったらしい。
「ふうん。じゃあ敏男は何か、夏代が落ちこんでいないように見えるのはただ表むきの見せかけだけで、本当は落ちこんでいるはずだとでも言うのかい」
自らもバーボンに口をつけながら昇が訊ねる。
「ええ。どちらかというと、そうじゃないかと思っています」