世界平和の夢を追った日 [読者の皆さんと考える]
ウツになる人は、自分を知らなすぎるのではないでしょうか?
「足るを知る」という言葉があるのにもかかわらず、分不相応な目標を立てて、能力不足を顧みず、旧日本軍のように猛進して、やがては自己を見失い、目標すら何だったかわからなくなる。
――なおぼんRさんはblog「wawabubu(なおぼん)のblog」のうち「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に、そう書かれました。
そこで私は当塾の「大きな夢と取り組む幸せ」の頁に、それを引用した上で次のように書かせていただいたのです。
だけど私は、思うんですよ。
目標が決して「それなり」や「そこそこ」ではない大きなものだった場合は、なかなか達成できませんよね。
だから目標を達成してしまったことによる鬱状態には、陥らずに済む可能性が高いはずだろうと。
しかも「大きな目標と取り組んでいる人は、達成感を味わえない」とも限っていません。
なぜならば大きな目標を達成するためには、その途中でさまざまな段階を経ていく必要があるからです。
そして大きな夢を果たすために乗り越えていくべき一つ一つの段階を実現するたび、手ごたえとしての達成感を味わうことができるからです。
これは決して、単なる理想論や夢物語の類ではありません。
なぜならば私自身が今、大きな夢と取り組んでいることによる幸せを実感できているからです。
そんな自分自身の体験に基づいて「大きな夢と取り組んでいる人は、そのこと自体によって幸せを味わえる」と自信を持ってお伝えできるのです。(引用、ここまで)
いったいお前は、どういう「大きな夢」に取り組んでいるというのか――
「大きな夢と取り組む幸せ」の頁を読んでくださり、そう思われた方は多いのではないでしょうか。
「足るを知る」という言葉があるのにもかかわらず、分不相応な目標を立てて、能力不足を顧みず、旧日本軍のように猛進して、やがては自己を見失い、目標すら何だったかわからなくなる。
――なおぼんRさんはblog「wawabubu(なおぼん)のblog」のうち「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に、そう書かれました。
そこで私は当塾の「大きな夢と取り組む幸せ」の頁に、それを引用した上で次のように書かせていただいたのです。
だけど私は、思うんですよ。
目標が決して「それなり」や「そこそこ」ではない大きなものだった場合は、なかなか達成できませんよね。
だから目標を達成してしまったことによる鬱状態には、陥らずに済む可能性が高いはずだろうと。
しかも「大きな目標と取り組んでいる人は、達成感を味わえない」とも限っていません。
なぜならば大きな目標を達成するためには、その途中でさまざまな段階を経ていく必要があるからです。
そして大きな夢を果たすために乗り越えていくべき一つ一つの段階を実現するたび、手ごたえとしての達成感を味わうことができるからです。
これは決して、単なる理想論や夢物語の類ではありません。
なぜならば私自身が今、大きな夢と取り組んでいることによる幸せを実感できているからです。
そんな自分自身の体験に基づいて「大きな夢と取り組んでいる人は、そのこと自体によって幸せを味わえる」と自信を持ってお伝えできるのです。(引用、ここまで)
いったいお前は、どういう「大きな夢」に取り組んでいるというのか――
「大きな夢と取り組む幸せ」の頁を読んでくださり、そう思われた方は多いのではないでしょうか。