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分不相応な夢を追う幸せ [読者の皆さんと考える]

「鬱状態を引き起こす最も一般的な引き金の一つが目標の達成であることは、心理学や精神医学では常識です。」トーマス・セドラチェク 丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班・著『欲望の資本主義』2017年 東洋経済新報社より

 なおぼんさんのblog「wawabubu(なおぼん)のblog」のうち「幸福とは何だろうか?」と題された頁のコメント欄に私は先日、上記のような文章を転載させていただきました。
 すると同頁のコメント欄で、うつ病に関する論争(?)が引き起こされたのです。
 たとえば、なおぼんRさんが「自己を見失えば精神障害も起ころうというもの。(中略)ウツは死ななきゃ治らない」とおっしゃったのに対して「なかちゃん」と名のる人は「死ななくても治ると思いますよ」と書いておられます。

 それに対して、なおぼんRさんはさらに次のようにお書きになりました。

なかちゃん、おはよう。
私は、病というものは完治しないと考えています。
お薬や手術で治ったかに見えるだけだと思うのです。
患部を取り除く手術では、なるほど治るかもしれないが、その部分は「死んだ」のです。
死んで治すというのはそういう意味も含んでいる。
精神的な疾患は、そういう方法を取れない。
まさに主体を殺さなくては克服できない。
ウツはだから再発する。
そもそもウツは病なのだろうか?
人間の防御反応であれば、それは正常な営みではなかろうか?
健康神話で「健康」という神のような存在を皆が信じ、求める。
一体、健康とはなんだろう?
反対に、病という「状態」は異常なのだろうか?
インフルエンザに罹患するがあの苦しみは体の免疫反応が働いているからである。
罹患してもなんら苦しまず、体がむしばまれていく病の方が恐怖である。
ウツは個人的な問題よりも、あなたが指摘するように社会的に問題行動をとられる患者さんがいる。
そのためのお薬なり、カウンセリング治療は必要だと思います。
それで病状が回復し、不可逆な状態になれば「治った」のでしょう。
あなたは、おそらく優しいし、情緒的だ。
私は、その点、冷徹すぎるのかもしれない。

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