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9番目の夢.31 [20才と31才の恋話]

 昇の場合について語ろう。

 幼い頃には、いくつもの道が昇の行く手に手つかずのまま拓けていた。
 そのうちの、どの道を選びとるのも自らの思いのままだと考えていた。いろいろなことを成し遂げてみせるだけの力が、自らのこの手には備わっている。昇はてっきり、そう思いこんでしまっていたのだ。

 さらに言えば、何をやるかは決して大切な問題でなかった。何であってもかまわなかった。僕には確かに何がしかの力がある。他の者には見られないような優れた何かがある。たとえ何を選ぼうとも、その優れた力さえあれば何かを作りあげることが出来るはずだ。何をやろうとも、その優れた力が発揮され、素晴らしいものを作り上げることが出来るはずだ。そう昇は固く信じていたのだから。

 だがその傍らで、昇は怯えを感じてもいた。もし本当にそんな優れた力が自らに備わっているのだとしたら、今すぐにでもその力を何らかの、はっきりと目に見える形で外にあらわすことが出来るはずなのでなかろうか。しかし昇はいまだに何ものでもない。何をも作り出すことなど、できてはいない。だとすれば。もしかすると自らの優れた力などというものは、昇がかってに思い込んでしまっているだけの幻にすぎないのでなかろうか。あるいはもしも本当にそんな力があるのだとしても、それは何をも作り出したりすることの出来ないものでしかないのではなかろうか。

 今から振り返ってみると、二十代の日々は自らの夢をひとつひとつ諦めては捨てさることのくり返しだったようなものだ。

 いくつもの道を同時に選ぶことは出来ない。人にはそれぞれ、その人なりの持てる力というものがある。そしてその持てる力には、おのずから限りというものがある。決して、誰でもがどんな道をも選びうるというわけではない。
 だからこそ人は皆、選びとらなければならないのだ。自らが本当に進みたいと思う道を。それも自らの持てる力で進むことができると思われる道を。

 夢のひとつひとつに見切りをつけて、自らの明日を狭い枠のなかへと囲いこんでしまうのは確かに辛い。
 だがおそらくは、それこそが齢をとるということなのだ。

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