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恋より仕事を優先する男 [恋愛小説などから学ぶ]

カズオ・イシグロ『日の名残り』土屋政雄・訳 早川書房

 原題は'The Remains of the Day'。
 多い時には召使が二十八人もいたという大きな屋敷が、本作の主な舞台です。
 本作の語り手であるスティーブンスは、その屋敷の執事です。
 彼の年老いた父親も、同じ屋敷の副執事になります。
 そして本作のヒロインと言えるであろうミス・ケントンは、その屋敷の女中頭でした。

 ミス・ケントンは最初、スティーブンスと仲違いをします。
 スティーブンスと直に口をきくことを拒んで、次のように言うほどです。

「要するに、今後、私に直接声をおかけにならないでくださいということですわ」
「何を言っているのです、ミス・ケントン?」
「伝言がありましたら、誰かを使いに立ててください。メモを書いて送ってくださっても結構です。そうしたほうが、私どもの協力関係がどれだけスムーズになるかしれません」

 しかし屋敷に各国の要人たちが集まって会議を行なっている最中、スティーブンスの父が倒れます。
 要人たちの世話を続けなければいけないスティーブンスに代わって、ミス・ケントンがスティーブンスの父に付き添ってくれます。
 残念ながらミス・ケントンの介護もむなしく、スティーブンスの父は息を引き取ってしまうのですが。

 でもこの一件がきっかけとなってか、スティーブンスとミス・ケントンの仲は修復されました。
 二人は「一日の終わりにミス・ケントンの部屋で顔を合わせ、ココアを飲みながら、いろいろなことを話し合う習慣ができ」たというほどです。
 雨降って地固まる、といった感じですね。
 ただし、この習慣に関してスティーブンスは次のように語ります。

もちろん、ときには軽い話題もなかったとは言えませんが、ほとんどは事務的な打合せです。そのような習慣ができた理由は、簡単なことでした。私もミス・ケントンも、それぞれきわめて忙しい日常を送っておりまして、ときには何日間も、基本的な情報交換の機会もないまま過ぎてしまうことがありました。そのようなことでは、お屋敷の運営に支障をきたしかねません。二人ともその点では認識が一致しておりましたから、最も直接的な解決策として、毎日十五分程度、誰にも邪魔されないミス・ケントンの部屋で打合せを行なうことにしたのです。繰り返しますが、この会合はきわめて事務的な性格のものでした。たとえば、予定されている行事の計画を話し合ったり、新しく雇い入れた召使の働きぶりについて意見を交換したりする場でした。

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女にとって男は一過性? [恋愛小説などから学ぶ]

 村上龍『すべての男は消耗品である。』の初巻に収められた「すべての男は消耗品である」という題の文章には、次のようなくだりがあります。

 例えば、戦国時代など、城が落ちて敗れた主君の後を追って自害する奥方が美談としてよくテレビなんかに出てくるが、あんなものは嘘に決まっている。実際、そんな奥方も何人かはいただろうが、自分の主君を殺した男の新しい妻に収まるケースが多かったのは間違いない。

 当塾の「女にとって男は消耗品?」の頁では、この部分を引用させていただきました。
 そしてその上で私は、次のように書かせていただいたのです。

 この文章が雑誌に掲載されたのは、1980年代の半ばだったようです。
 その頃の日本では大人の男女は結婚するのが普通で、しかも既婚の女性は専業主婦の比率が高くなっていました。
 つまり当時の女性にとって恋人や夫は、「生活費と子種を提供してくれる相手」だったのだと考えることができます。そして恋人や夫と別れてしまっても、同じ機能を果たしてくれる別の恋人や夫が現れたら女性はそちらの男性の「新しい妻に収まる」。すなわち女性にとって恋人や夫は、「生活費と子種を提供してくれる」という機能を果たしてくれる消耗品だ――そう村上龍は考えたのでしょう。

 その頁に昨夜、なおぼんさんが次のようなコメントを書いてくださいました。なおぼんさん、どうもありがとうございます。

おひさしぶりです。
村上龍さんのおっしゃる通りだと思います。
男は「消耗品」と言ってしまえば、もう「味噌っかす」みたいで救いがありませんが、そこまで言わずとも「一過性のもの」ではあるわね。
あたしにとっては「過去の人」でも、誰かさんにとっては「ときめく人」になるかもしれない。
龍さんの指摘する「戦国武将の妻」も、まさしく「乗り換え」て生き延びるメス猫のような生き様だったでしょうね。
強い男を渡り歩く女は、一見、あてなく漂泊しているようですが、選ばれているのは男の方です。
生物一般がそうなのだから、ヒトだけ例外ということは考えにくいと、あたしなどは思うのです。
記事のインデックスをつけられたのですね。
見やすくなりました。

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相手に染まる女が可憐? [恋愛小説などから学ぶ]

アントン・チェーホフ「かわいい女」新潮文庫など

 本作の女主人公は最初、劇場のある遊園地を経営しているクーキンという男性と結婚します。
 そして、すっかり「劇場主のおかみさん」としてふるまうようになるのです。
 そんな様子が本作では、たとえば次のように描かれています(神西清氏による邦訳から引用させていただきます。以下も同様です)。

芝居や役者についてクーキンの吐いた意見を、彼女もそのまま受け売りするのだった。やはり良人と同様彼女も見物が芸術に対して冷淡だ、無学だといって軽蔑していたし、舞台稽古にくちばしを出す、役者のせりふまわしを直してやる、楽師れんの行状を取り締まるといった調子で、土地の新聞にうちの芝居の悪口が出たりしようものなら、彼女は涙をぼろぼろこぼして、その挙句に新聞社へ掛け合いに行くのだった。

 しかし間もなく、クーキンは死んでしまいます。
 そして女主人公は、ヴァーシチカという愛称の男性と再婚します。
 このヴァーシチカは材木置場の管理人だったため、女主人公は今度は「材木置場の管理人のおかみさん」としてふるまうようになります。
 たとえば、次のようにです。

「当節じゃ材木が年々二割がたも値あがりになっておりましてねえ」と彼女はお得意や知合いの誰彼に話すのだった。「何せあなた、以前わたしどもでは土地の材木を商っておりましたのですけれど、それが当節じゃヴァーシチカが毎とし材木の買い出しにモギリョフ県まで参らなければなりませんの。その運賃がまた大変でしてねえ!」そう言って彼女は、さもぞっとするように両手で頬をおさえて見せるのだった。「その運賃がねえ!」

 でもやがて、ヴァーシチカも死んでしまいます。
 そこで女主人公は次に、彼女の家の離れを借りて住んでいた獣医の男性と親密な仲になるのです。
 そんな様子が本作では、次のように描かれています。

「わたくしどもの街では獣医の家畜検査というものがちゃんと行なわれておりませんので、そのため色んな病気がはやるんでございますわ、のべつもう、人様が牛乳から病気をもらったとか、馬や牛から病気が感染なすったとか、そんなお話ばかり伺いますのねえ。まったく家畜の健康と申すことには、人間の健康ということに劣らず、心を配らなくてはなりませんわ」
 彼女の言うことは例の獣医の考えそのままの受け売りで、今では何事によらず彼と同じ意見なのだった。してみればもはや、もともと彼女は誰かに打ち込まずには一年と暮らせない女で、今やその身の新しい幸福をわが家の離れに見出したのだということは、語るに落ちた次第だった。

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築かれた絆は断ち切れない [恋愛小説などから学ぶ]

マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』

 もう一つ、ボクの頭の中で鳴り響いていた言葉がある。
 マーク・トエインが書いた「ハックルベリー・フィンの冒険」に出てくる、ハックルベリー少年の次のような科白だ。
「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」

 白人のハックルベリー少年は旅の途中、たまたま黒人のジムと道連れになった。そして二人で助け合いながら、いろいろな危機を乗りこえてきたのだ。その結果としてハックルベリー少年とジムの間には、堅い心の絆が築かれている。
 しかしジムは本来、奴隷だったのだ。そして当時の社会では、奴隷は主人の元へ連れ返さなければならないことになっていた。それが世の中の決まりごとであり、誰もが守るべき道徳だとも見なされていたのだ。それに反した者は死後、地獄へ落ちるとされている。
 そのため、ハックルベリー少年は悩み迷わざるをえなかった。はたして社会の掟を守り、ジムを主人の元へと連れ戻すべきなのか。それともジムとの間に育まれてきた心の絆を大切にして、これからも彼と一緒にいつづけるべきなのかと。

 もちろんハックルベリー少年の素直な気持ちとしては、ジムと別れてしまいたくない。だが彼は、世間で唱えられている道徳を信じてもいる。ジムを主人の元へ返さなければ自分は地獄に落ちてしまう、と心の底から信じているのだ。
 地獄に落ちるのが嫌なハックルベリー少年は、だから大いに迷い悩んでしまった。だがその末に、彼は覚悟を決めるのだ。たとえ自分は地獄へ落ちる羽目になろうと、決してジムのことを見捨てはしないと。

「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」
 このハックルベリー少年の言葉を思い出したおかげで、ボクは心を勇気づけられた気がする。
 ボクもまさしく、ハックルベリー少年と同じような迷いに直面していた。ボクがナツヨのそばにとどまりつづけることは、それまでボクが信じていた道徳に反してしまうからだ。「卒業生は決して私情に流されず、いつでも部員たち皆のことを考えなければならない」という道徳に。

 だがボクは、ナツヨのことを見捨ててしまいたくはなかった。ナツヨとの間に築かれていた心の絆を、決して断ちきってしまいたくはなかった。
 だからこそ、ボクは心を決めたのだ。自分は今後もナツヨのそばにとどまって、彼女の心の支えになりつづけようと。
 たとえその結果としてボクは、これまで自分に課していた道徳を破った罪で地獄へ落ちる羽目になってしまうのだとしても。―――

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