築かれた絆は断ち切れない [恋愛小説などから学ぶ]
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』
もう一つ、ボクの頭の中で鳴り響いていた言葉がある。
マーク・トエインが書いた「ハックルベリー・フィンの冒険」に出てくる、ハックルベリー少年の次のような科白だ。
「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」
白人のハックルベリー少年は旅の途中、たまたま黒人のジムと道連れになった。そして二人で助け合いながら、いろいろな危機を乗りこえてきたのだ。その結果としてハックルベリー少年とジムの間には、堅い心の絆が築かれている。
しかしジムは本来、奴隷だったのだ。そして当時の社会では、奴隷は主人の元へ連れ返さなければならないことになっていた。それが世の中の決まりごとであり、誰もが守るべき道徳だとも見なされていたのだ。それに反した者は死後、地獄へ落ちるとされている。
そのため、ハックルベリー少年は悩み迷わざるをえなかった。はたして社会の掟を守り、ジムを主人の元へと連れ戻すべきなのか。それともジムとの間に育まれてきた心の絆を大切にして、これからも彼と一緒にいつづけるべきなのかと。
もちろんハックルベリー少年の素直な気持ちとしては、ジムと別れてしまいたくない。だが彼は、世間で唱えられている道徳を信じてもいる。ジムを主人の元へ返さなければ自分は地獄に落ちてしまう、と心の底から信じているのだ。
地獄に落ちるのが嫌なハックルベリー少年は、だから大いに迷い悩んでしまった。だがその末に、彼は覚悟を決めるのだ。たとえ自分は地獄へ落ちる羽目になろうと、決してジムのことを見捨てはしないと。
「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」
このハックルベリー少年の言葉を思い出したおかげで、ボクは心を勇気づけられた気がする。
ボクもまさしく、ハックルベリー少年と同じような迷いに直面していた。ボクがナツヨのそばにとどまりつづけることは、それまでボクが信じていた道徳に反してしまうからだ。「卒業生は決して私情に流されず、いつでも部員たち皆のことを考えなければならない」という道徳に。
だがボクは、ナツヨのことを見捨ててしまいたくはなかった。ナツヨとの間に築かれていた心の絆を、決して断ちきってしまいたくはなかった。
だからこそ、ボクは心を決めたのだ。自分は今後もナツヨのそばにとどまって、彼女の心の支えになりつづけようと。
たとえその結果としてボクは、これまで自分に課していた道徳を破った罪で地獄へ落ちる羽目になってしまうのだとしても。―――
拙作『10年ごしのプロポーズ』の第32章には、上のように書かれています。
ナツヨは、高校で同じ生物部の部員だったトモエやイナミたちと仲たがいをしてしまいました。
そして「このまま自分が生物部に顔を出しつづけたら、トモエやイナミたちが気まずく感じてしまうだろう」と考えたナツヨは、自分が生物部に顔を出すのをやめてしまったのです。
その時点で私は、生物部の卒業生という立場でした。そして「卒業生は決して私情に流されず、いつでも部員たち皆のことを考えなければならない」と考えていたのです。
したがって本来ならばナツヨとトモエたちのうちどちらか片方に肩入れしたりするのではなく、両者が仲直りできるように努めるべきだったのでしょう。
しかし生物部に残ったトモエたちの側は、部員や他の卒業生たちと関わりつづけることができます。それに比べて生物部に顔を出すのをやめてしまったナツヨの側は、それができないのです。
生物部の部員や卒業生たちのことをとても好きだったナツヨにとって、それはものすごく辛く感じられるに違いない―――
そう気づかった私は、卒業生として守るべき立場に反してでもナツヨのそばに留まりつづけることにしたのでした。
その時に私の頭の中で鳴り響いていたのがハックルベリー少年の「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう」という科白だったのです。
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もう一つ、ボクの頭の中で鳴り響いていた言葉がある。
マーク・トエインが書いた「ハックルベリー・フィンの冒険」に出てくる、ハックルベリー少年の次のような科白だ。
「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」
白人のハックルベリー少年は旅の途中、たまたま黒人のジムと道連れになった。そして二人で助け合いながら、いろいろな危機を乗りこえてきたのだ。その結果としてハックルベリー少年とジムの間には、堅い心の絆が築かれている。
しかしジムは本来、奴隷だったのだ。そして当時の社会では、奴隷は主人の元へ連れ返さなければならないことになっていた。それが世の中の決まりごとであり、誰もが守るべき道徳だとも見なされていたのだ。それに反した者は死後、地獄へ落ちるとされている。
そのため、ハックルベリー少年は悩み迷わざるをえなかった。はたして社会の掟を守り、ジムを主人の元へと連れ戻すべきなのか。それともジムとの間に育まれてきた心の絆を大切にして、これからも彼と一緒にいつづけるべきなのかと。
もちろんハックルベリー少年の素直な気持ちとしては、ジムと別れてしまいたくない。だが彼は、世間で唱えられている道徳を信じてもいる。ジムを主人の元へ返さなければ自分は地獄に落ちてしまう、と心の底から信じているのだ。
地獄に落ちるのが嫌なハックルベリー少年は、だから大いに迷い悩んでしまった。だがその末に、彼は覚悟を決めるのだ。たとえ自分は地獄へ落ちる羽目になろうと、決してジムのことを見捨てはしないと。
「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう。―――」
このハックルベリー少年の言葉を思い出したおかげで、ボクは心を勇気づけられた気がする。
ボクもまさしく、ハックルベリー少年と同じような迷いに直面していた。ボクがナツヨのそばにとどまりつづけることは、それまでボクが信じていた道徳に反してしまうからだ。「卒業生は決して私情に流されず、いつでも部員たち皆のことを考えなければならない」という道徳に。
だがボクは、ナツヨのことを見捨ててしまいたくはなかった。ナツヨとの間に築かれていた心の絆を、決して断ちきってしまいたくはなかった。
だからこそ、ボクは心を決めたのだ。自分は今後もナツヨのそばにとどまって、彼女の心の支えになりつづけようと。
たとえその結果としてボクは、これまで自分に課していた道徳を破った罪で地獄へ落ちる羽目になってしまうのだとしても。―――
拙作『10年ごしのプロポーズ』の第32章には、上のように書かれています。
ナツヨは、高校で同じ生物部の部員だったトモエやイナミたちと仲たがいをしてしまいました。
そして「このまま自分が生物部に顔を出しつづけたら、トモエやイナミたちが気まずく感じてしまうだろう」と考えたナツヨは、自分が生物部に顔を出すのをやめてしまったのです。
その時点で私は、生物部の卒業生という立場でした。そして「卒業生は決して私情に流されず、いつでも部員たち皆のことを考えなければならない」と考えていたのです。
したがって本来ならばナツヨとトモエたちのうちどちらか片方に肩入れしたりするのではなく、両者が仲直りできるように努めるべきだったのでしょう。
しかし生物部に残ったトモエたちの側は、部員や他の卒業生たちと関わりつづけることができます。それに比べて生物部に顔を出すのをやめてしまったナツヨの側は、それができないのです。
生物部の部員や卒業生たちのことをとても好きだったナツヨにとって、それはものすごく辛く感じられるに違いない―――
そう気づかった私は、卒業生として守るべき立場に反してでもナツヨのそばに留まりつづけることにしたのでした。
その時に私の頭の中で鳴り響いていたのがハックルベリー少年の「よっしゃ、わかった。それなら僕は、地獄へ行こう」という科白だったのです。
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