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9番目の夢.40 [20才と31才の恋話]

 書きたくもない文章を書いて、それでなけなしの金を稼ぐくらいなら、むしろ文章なんていっさい書かない方がずっとましなのでなかろうか。そう昇は考えている。だがもちろん、自らの書きたいことを書いてそれで金を稼ぐことのできる者など、そうそう大勢いるわけではない。それができるのはほんの一握りの、ごく恵まれた者たちだけだ。

 そして昇は、そんな恵まれた者たちのうちのひとりになりたかった。自らにはそれだけの力があるものと、かつてはそう考えていた。しかし、今では違う。自らにはそんな力などとうていありはしない。夏代より余分に生きた十年間で、昇はそのことを自らの心にはっきりと思い知らされたのだから。

 だとすれば文章を書いて身を立てることなど、きっぱりと諦めるべきなのではなかろうか。世に出るまでの腰かけのつもりで勤めはじめた今の会社を、昇は居心地のいいところだと感じはじめていた。仕事は決して面白くこそないものの、昇にとっては片手間でこなしてしまえるほどの楽なものだ。そのくせわりと高めの給料をもらっているし、社長の信頼も厚い。いつの日にか社長の座をねらうこととなるであろう候補者のうちのひとりとして、社内でも噂されている。このままこの会社に勤めつづけて、いったい何がいけないというのだろう。文章で身を立てようとするよりは、その方が先行きもはるかに安定しているのだし。遠からず夏代と一緒に暮すことを考えるなら、自らの夢はいさぎよく捨てるべきだ。いつまでも夢を追いもとめつづけるのではなしに、夏代が暮していくための金を確実に稼ぐことをこそ、何よりも大切に考えるべきだ。夏代のためになら夢を諦め、このさき彼女の暮しをささえるべく金を稼ぐためにだけ生きていくことになるとしても、昇はまったく何らかまわない。

 そして昇は、夏代に自らの夢を託そうとしていた。自らには手の届かなかった夢を、夏代がかわりに果たしてくれることを望んでいた。そのためにも夏代には、つまらない仕事など決してやってほしくない。しょせんは使い捨てにすぎない仕事などで、自らをすりへらしてほしくない。夏代の名前がきっちりと出て、原稿料もちゃんともらえるような仕事をこそしてほしい。

 だが、いきなりそんな仕事をまわしてもらうのがどれほど大変なことか。それは昇にも、よくわかっている。
 だから昇は何とかして、自らが夏代にそんな仕事をとってきてやりたいと考えた。自らの力で、夏代を世に出してやりたいと考えた。何とかしてそうする手だてはないものだろうかと考えた。
 しかし今の昇にとって、どうやらそれは望むべくもないことらしい。残念ながら昇は何らのつても力も、持ち合わせてなどいないのだから。

「夏代はさあ、やっぱり文章を書くことで暮していきたいと、今でもそう考えているのかい」
「何でもいいのよ、食べていくことさえできるなら」わりとこだわりを見せずに、あっさりと夏代は言う。「でもどちらかって言うとやっぱり、それが一番の理想かしらね」
「そうか」力なく昇は言った。「いつの日にか本当に俺たちふたりで新しい雑誌を出すことができたらいいんだけどな」

「いつだったか、先輩とふたりで話しあったじゃない。十年後の私たちが、いったいどうなっているだろうかって」
「ああ。ふたりで雑誌をはじめて、俺が編集長をやっているっていうやつだろう」
「あの夢が本当になったらいいのにね」
 昇は今でもはっきりと思い出すことができる。まだ夏代が高校生だった頃、ふたりで語り合った夢を。

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