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9番目の夢.39 [20才と31才の恋話]

「センパイ、聞いて聞いて」
 夏代は昇の顔を見るなり朝の挨拶もそこそこに話しかけてくる。彼女はここが職場だということを時おり、すっかり忘れてしまうらしい。

「私、仕事もらっちゃったのよ」
「仕事って、いったい何を」
「ほら、私が大学の学内誌に載せた文章がいくつかあるでしょう。地方の豪族だとか、あるいはこないだのやつだとか。ほら、あったじゃない。パリにいた私の友だちが、香水がきっかけでフランス語を覚えた話。あのへんが編集者さんの目にとまったらしくてね。うちの雑誌に文章を書いてくれないかって頼まれたのよ」

「へえ。そいつは良かったじゃないか。でも夏代、いったいどんな雑誌なんだい」
「それがまだよくわからないの。雑誌の名前は聞いたんだけど、私の知らない雑誌だったし」
「ふうん。それで夏代さあ、変なことを訊くようだけど、原稿料はちゃんともらえるのか」

 いつの日にか自らの雑誌を出したいと、少なくとも一時期は志していた昇のことだ。雑誌のはたけの内幕を、おそらく夏代よりはよく知っているはずだろう。それだけに、昇としては現実的な考え方をしないわけにいかない。

「それがねえ、残念ながら出ないのよ。原稿を書くのにかかった経費だけは出してくれるそうなんだけど。でもまあ、そういう仕事をして名前を売っておけば、いずれ他の仕事もまわしてもらえるようになるんじゃないかな。ほら、あの業界は何よりもつてがものを言うみたいだから」

 危ないな、と昇は思った。
 今の日本で、自らが書いた文章を活字にすることそのものは決して難しくなんかない。
 世の中には、いったい誰があんなに読むのだろうかと思われるほど、いろいろな雑誌があふれかえっている。そして文章を書く者はいつだって人手不足だ。その気がありさえすれば誰だって、自らの書いた文章を雑誌に載せることはできるだろう。もちろん書くなかみについて、決してえり好みをしなければの話だが。

「センパイ、ライターさんになるのなんて簡単なことなんですってね」
「へえ。そうかい」
「名刺にライターですって書いて、それをばらまいておけば、後は電話がかかってきて仕事を頼まれるのを待つだけだって言われたわよ。それで評判がよければ、どんどん他の仕事もまわってくるようになるし、って」
「そりゃあまあ、確かにそのとおりなんだろうけど」

 しかし昇は知っていた。雑誌に文章を書いて金を稼ぐことが、いかに厳しいのかということを。それだけで暮していくことができるようになろうとしたら、どれほど大変なのかということを。フリーのライターだなんて、聞こえだけはいいものの、雑誌の側にとっては使い捨てでしかないということを。ちょっとばかし景気の風向きが変われば、すぐにでも吹き飛ばされてしまうような身の上でしかないということを。

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