９番目の夢.38

「夏代さん、お昼はもう食べました？」
　これですべてが終わりです。
「いやー、今日、金ねえからさ」
「じゃあ、あまり高くないところへいきましょう」

　これで本当にもう終わりです。一緒に食べに行くなどとは言っていないのに、いつの間にか強引に話を進められ、そして五分後、気がつくと私は何だか良く分からないフランス料理店のテーブルに座らされているのです。そして一番安い「ランチ・ビストロコース壱千五百円」か何かを注文してしまうのです。そしてＲは、「ランチ・プチコース弐千五百円」などという信じられないものを注文してしまいます。さあ、静寂な音楽の流れる中、やってきましたフランス料理。そのころ私の頭のなかでは「壱千五百円あったら吉野屋の牛丼大盛りが何杯食べられたか」の必至の計算式と、後悔の念でいっぱいです。しかしもう遅いのです。テーブルの上に並べられていく、色とりどりの料理達を眺め、決心を固め涙を飲んでさあ食おう、とナイフを手にした時、Ｒは言うのです。「………えー、想像してたのとちがう………。」

　そうして彼女は、その料理に手さえつけないまま、静かに座っているのです。一口も、食わないのです。ぜんぜん食わないのです。この大馬鹿者は。
　私は、飯を残すことが極端に嫌いな人間でして。
　心の底から沸き上がるような怒り………「注文したものぐらい、食え！」……を、なけなしの理性で無理やり押さえながら、私は言います。「勿体無いから、少しは食べなよお」するとＲは言います。「………夏代さん、食べてくれる？」
　かくして。私はフランス料理点で、二人分のランチをきれいにたいらげるという、あまりみっとも良くないことをやってのけてしまいます。

　そしてお勘定です。余計なところで気を回してしまう私は、どうしても、一口も食べずに座っていただけのＲに弐千五百円全額を払わせる気にもなれず、彼女の分の半額とちょっとを援助してしまいます。もうメシが美味かったかどうかなんて解らないくらいに頭の中がぼんやりするよなその昼飯代。教科書を買うために前日銀行からおろした金は、こうしてあっという間になくなります。こんな事のくりかえしで、お蔭で私はまだ語学の教科書すら持っていません。

　このＲ、まったく困ったさんでありまして。居酒屋で「カクテルしか飲めないんです」と言ってビールを拒否するのは別にいいでしょう。しかし彼女は、誰かが彼女のために前もってカクテルを注文してくれなかったことに腹を立て憮然とした態度に出ます。私がカクテルしか飲めないのをみんな知っているはずなのに、誰も私の飲み物のことを考えてくれていないと言って怒るのです。何故でしょう。何故なんでしょう。「ああ、ごめんねえ気づかなくて」とか言いながら、「何が飲みたいの？」なんて聞いてあげたりして。

「アップルツリーフィズがいいかなあ」
「すみませーん、アップルツリーフィズ下さいー」
そうやって注文してあげないと、彼女は最後まで拗ねたまま何も飲まずにいるのです。

　他にも、モデルクラブの人に勧誘されたのだけれど、事務所まで行くのが怖いからついてきてくれだの、門限を過ぎてしまって、板橋の学生会館へ帰るのが怖いから今から一緒にタクシーで学生会館まで行って、門番の人に言い訳してくれだの、もう大変です。
　そして。地方の豪族の方々は、金持ちでありながら金払いが悪いです。「何で私が払わなくちゃいけないの」そんな意識が根付いているようです。

　しかも、ここまでの話は全て、女の子しか居ない時に起こった出来事でありまして、男の子がいるとき、彼女は決してお高くとまったりはしません。あくまでも世間を知らない、可憐なお嬢さんでして。この辺の切り替えがきっちりしているあたり、さすがだぜと思わずにはいられないのですが。
　誰か、奴をしばいてやって下さい。仕事料ははずみます。」

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