恋愛エッセイ小説を考案.6 企画書を送付 [塾頭の経歴]
無名の作者が書いた小説が商業出版されるには普通、出版社が主催している新人賞に応募して受賞する必要があります。
しかし長篇のエンターテインメント小説を募集している新人賞では、どのような作品が受賞するのかという傾向が決まってしまっている場合が多いのです。
「これまでになかったような斬新な作品の応募を期待する」というような趣旨のことを唱えている新人賞もあります。しかし、そのような新人賞でも実際には、同じような傾向の作品ばかりが何回も続けて受賞していることが多いのです。
そして出版社が主催していた新人賞で少なくとも当時、私の「恋愛エッセイ小説」のように「エッセイのような部分を物語の中に組み込んだ作品」が選ばれそうなものは、ほとんど見あたりませんでした。
現に私は自分の書いた「恋愛エッセイ小説」でいくつか試しに新人賞に応募してみたのですが、受賞はできなかったのです。
しかし、もしも本当に私の「恋愛エッセイ小説」が、出版社にとって利益が出るほどの部数が売れるはずだと期待できるのであれば――
それを出版しようとする出版社が、きっと出てくるはずだと考えられます。
しかも私の「恋愛エッセイ小説」は、小説の形こそとっているものの、考えようによっては「物語形式の恋愛実用書」だとも言えます。
そして実用書などの分野では、書き手が出版社に提案した企画が採用されて実際の出版に至る例も少なくありません。
とりわけ「恋愛エッセイ小説」のように、それまでに類似の例がなかった新しい形式の本については、まずその性質や利点や「売れる見込み」などを企画書で説明した方が理解してもらいやすいでしょう。
そう考えて私は「恋愛エッセイ小説」の企画書を作り、それを多くの出版社に送ったのです。
しかし残念ながら、私の「恋愛エッセイ小説」を出版しましょうと言ってきた出版社は一つもありませんでした。
ところでショウとマミとが登場する「恋愛エッセイ小説」を書いたことは私に一つ、とても大きな副産物をももたらしてくれました。
やはりショウとマミとを登場させることで、いくつか私の自伝とも言うべき作品を書くことができるようになったのです。
自伝は本人にとってこそ感慨が深く思えても、それを読む他の人たちにとっては退屈に感じられてしまうものが少なくありません。
それは一つには、その人が生きてきた何十年にもわたる長い間のできごとを書いてしまいがちだからだと思われます。
何十年もの間の話が、ずっと面白く盛り上がったままだということは珍しいのです。
しかし一人の人が人生のうちである一定の期間、他人が読んでも面白く感じられる体験をすることは珍しくないでしょう。
現に私も「この一年もしくは数年くらいの間のできごとだけを取り出せば、起承転結をそなえた面白い話になりそうだ」と思える時期を、今までの人生で何度か過ごしてきました。
ですので以前から、それらの時期における自分の体験を描いた作品を書いてみたいと思っていたのです。
ただし「それらを、どうやって描くか」という書き方の問題で悩んでしまっていました。
たとえば私は十四歳だった時、なかなかドラマティックな恋愛を体験できたと自分では思っています。
それを描いた話に臨場感を持たせるためには、十四歳だった当時の私の視点で書くといいのでしょう。
しかし「十四歳だった当時の私」には当然、考えが至らずにいた部分もあるわけです。
「十四歳だった当時の私の視点」で全体を統一してしまったのでは、十四歳だった当時の自分には考えが至らずにいた内容を書くことができません。
でもショウとマミとが登場する「恋愛エッセイ小説」を書いてみたことにより私は、この問題を解決するための方法を一つ思いつくことができました。
それは「十四歳だった当時の自分の視点で書かれている部分とは別に、そこに書かれている内容について大人のショウとマミとが語りあう章を挿入する」というものです。
この方法を思いついたことによって私は、まず自分が十四歳だった時の体験を「14才の恋と、サヨナラ」という作品にすることができたのでした。
(「好きな生き方を選べる好機」より)
「14才の恋と、サヨナラ」は、冒頭の部分が当塾に掲載されています。
具体的には当塾の「目次(14才の恋話)」の頁をご参照ください。
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そして出版社が主催していた新人賞で少なくとも当時、私の「恋愛エッセイ小説」のように「エッセイのような部分を物語の中に組み込んだ作品」が選ばれそうなものは、ほとんど見あたりませんでした。
現に私は自分の書いた「恋愛エッセイ小説」でいくつか試しに新人賞に応募してみたのですが、受賞はできなかったのです。
しかし、もしも本当に私の「恋愛エッセイ小説」が、出版社にとって利益が出るほどの部数が売れるはずだと期待できるのであれば――
それを出版しようとする出版社が、きっと出てくるはずだと考えられます。
しかも私の「恋愛エッセイ小説」は、小説の形こそとっているものの、考えようによっては「物語形式の恋愛実用書」だとも言えます。
そして実用書などの分野では、書き手が出版社に提案した企画が採用されて実際の出版に至る例も少なくありません。
とりわけ「恋愛エッセイ小説」のように、それまでに類似の例がなかった新しい形式の本については、まずその性質や利点や「売れる見込み」などを企画書で説明した方が理解してもらいやすいでしょう。
そう考えて私は「恋愛エッセイ小説」の企画書を作り、それを多くの出版社に送ったのです。
しかし残念ながら、私の「恋愛エッセイ小説」を出版しましょうと言ってきた出版社は一つもありませんでした。
ところでショウとマミとが登場する「恋愛エッセイ小説」を書いたことは私に一つ、とても大きな副産物をももたらしてくれました。
やはりショウとマミとを登場させることで、いくつか私の自伝とも言うべき作品を書くことができるようになったのです。
自伝は本人にとってこそ感慨が深く思えても、それを読む他の人たちにとっては退屈に感じられてしまうものが少なくありません。
それは一つには、その人が生きてきた何十年にもわたる長い間のできごとを書いてしまいがちだからだと思われます。
何十年もの間の話が、ずっと面白く盛り上がったままだということは珍しいのです。
しかし一人の人が人生のうちである一定の期間、他人が読んでも面白く感じられる体験をすることは珍しくないでしょう。
現に私も「この一年もしくは数年くらいの間のできごとだけを取り出せば、起承転結をそなえた面白い話になりそうだ」と思える時期を、今までの人生で何度か過ごしてきました。
ですので以前から、それらの時期における自分の体験を描いた作品を書いてみたいと思っていたのです。
ただし「それらを、どうやって描くか」という書き方の問題で悩んでしまっていました。
たとえば私は十四歳だった時、なかなかドラマティックな恋愛を体験できたと自分では思っています。
それを描いた話に臨場感を持たせるためには、十四歳だった当時の私の視点で書くといいのでしょう。
しかし「十四歳だった当時の私」には当然、考えが至らずにいた部分もあるわけです。
「十四歳だった当時の私の視点」で全体を統一してしまったのでは、十四歳だった当時の自分には考えが至らずにいた内容を書くことができません。
でもショウとマミとが登場する「恋愛エッセイ小説」を書いてみたことにより私は、この問題を解決するための方法を一つ思いつくことができました。
それは「十四歳だった当時の自分の視点で書かれている部分とは別に、そこに書かれている内容について大人のショウとマミとが語りあう章を挿入する」というものです。
この方法を思いついたことによって私は、まず自分が十四歳だった時の体験を「14才の恋と、サヨナラ」という作品にすることができたのでした。
(「好きな生き方を選べる好機」より)
「14才の恋と、サヨナラ」は、冒頭の部分が当塾に掲載されています。
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