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3-1-4 心あたたまる交流の実例.2 [恋愛で必ず幸せになる秘訣]

 しかし自分の側も相手のことを気づかう気持ちのある住人さんたちとは、お互いに助けあいながら暮らしていました。
 たとえば住人さんのうちの一人が失明してしまった時は、手術を受けて再び目が見えるようになるまでの間、私たちが頼まれて食料品を買ってきたり一緒に銭湯へ行ったり、病院への行き帰りに付き添ったりしたのです。

 あるいは暴力をふるう夫と別れ、独り暮らしをしていた女の人などもいました。その人は夫がいなくなっても恐怖心が残ってしまっているらしく、うまく人と関わることができせん。まわりの私たちが普通に声をかけただけでも、怯えてしまったりするのです。そこで私たちは、決して怯えさせてしまわないように気をつけながら、彼女のことを見守っていました。その結果として彼女も少しずつ、私たちと言葉を交わしたりできるようになっていったのです。
 そんな彼らとの交流は今でも、ふりかえるたびに心の温まる思い出として、私の記憶に刻みこまれています。

 それは決して、そのアパートに住んでいた間だけのことではありません。
 わりと私はどこに住んでも、まわりの人たちとの間で、似たような交流に恵まれる機会が多い気がします。

 今お話したアパートの場合は、たまたま私よりも大幅に年上の人たちとの交流が中心でした。しかしもちろん、もっと私と歳が近い人たちとの交流の例もあります。
 私と同じアパートや近所に住んでいる歳の近い女性から声をかけられ、おつきあいをさせていただいたことも何度かありました。

 それらの場合のように、ご近所づきあいの中に恋愛にまで発展するような相手も含まれていれば、いっそう大きな喜びを味わうことができるでしょう。
 しかし特にそのような相手は含まれていなかったとしても、気のいい人たちとの間で心の温まる関係を育んでいくことができれば、それだけで充分に幸せを感じることができるのです。

 そういう状態が長く続くと、それだけで満足してしまえるようになる人もいるようです。
 たとえ恋人や結婚相手は見つからなくても、まわりの他の人たちとの間で気持ちをかよいあわせるだけで、満足できるようになるのです。

 実は私も現在、それに近い状態にいる気がします。
 たまたまありがたいことに最近の私は、わりと女の人たちから交際を申し込まれる機会が増えました。しかし彼女たちがいてくれなかったとしても、年齢や性別や既婚などの条件で私にとっては恋愛の対象とならない人たちとの交流だけで、充分に幸せを感じていられる気がするのです。

 もしかすると、それは「恋愛を超越した、悟りの境地」とでも呼ぶべき心境なのかもしれません。
 そして、これは決して私だけの話ではないはずだという気がするのです。
 本当に優しい人になろうと志して努力を重ねていくと、他人に何かを求める気持ちは少しずつ薄らいでいきます。自分が相手に何かをしてほしいと望むのではなく、自分が他の人たちのため役に立てるということ自体に喜びを感じられるようになるからです。

 その境地にまで到達することができてしまえば、もはや「自分に対して特に優しくしてくれる恋人や結婚相手」を求める気持ちも薄らいできます。そのような相手はいなかったとしても、他の人たちのために自分が役立つことで、充分に幸せを味わえるからです。
 もしかすると、それは「本当の意味で優しい人」になろうと努力してきたことに対して与えられる、ご褒美なのかもしれませんね。

「3-1-5 人のためになる活動をする.1」を読む

「恋愛で必ず幸せになる秘訣」の目次を見る

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