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10年ごしのプロポーズ.名場面集2 [16才と27才の恋話]

「その人は、実は生物部の卒業生なんです」ナツヨは何やら、覚悟を決めたらしい口調になった。「いつでも私のことを、とても気にしてくれていましてね。私が何かしでかすたびに、いつも本気で心配してくれるんですよ」
「そりゃあ生物部の卒業生は、気のいい奴らばかりだからな」とりあえずボクは無難に、そう応えておくことにする。「ナツヨたち現役生のことを皆、とても親身に考えてくれているしね」
「だもんで私もその人の、そんな優しさに心を動かされてしまったみたいなんです。いつだったか私は、ゴトウ先輩に話しましたよね。私は子供だった頃から、うちの親と折り合いが悪かったって。友だちや学校の先生なんかとも、あまりなじめずにいましたし。そんなところへ優しく接してくれる人が現われ、ついつい嬉しくなってしまったらしいんですよ。本当ならば決して、私が好きになってはいけない人だと思うのですが」
10年ごしのプロポーズ.26-2より)

「だけどその時、私の頭の中に浮かんできたんだよ。前の年の秋、自分の生い立ちを私に話してくれた時のナツヨの顔がさ」私はもう一度、その時のことを思い出しながら言った。「それから、ユウサクさんへの片思いについてナツヨが打ち明けてくれた時のこともね。さらにはこの年の四月十六日、トシオとの交際について電話で私に相談を持ちかけてきた時のこともだ」
「それまでナツヨさんとの間にあった、印象深い場面の記憶がよみがえってきたのね」
「そして私は、思い出したんだよ。そんな心の結びつきが私にとって、どれほど嬉しいものだったのかということをね。そうやってナツヨが私のことを信じて、そんな個人的なことまで話したり相談してきたりしてきてくれたことがさ」
「前にもショウは、言っていたものね。そこまでショウのことを頼りにしてくれた後輩は、さすがにナツヨさんが初めてだったって」
「だから私は、思ったんだよ。そんなナツヨのことを自分は決して、見捨てたりなどできやしないって。たとえそのために、もう二度と生物部へ顔を出せなくなるとしてもね。あるいはミサトと自分の間をつないでいる絆が、いくらか弱まってしまうのだとしてもさ」
「それまでの十年間、ずっと大事にしてきたものを捨てる覚悟をしたわけか」マミは大きく一つ、ため息をつく。「それって何だか、凄い決心だったんじゃないかって気がするんだけどな」
10年ごしのプロポーズ.31-7より)

「ここは確かに、景色がいいわね」あちこちへと目を向けながら、ミサトが言った。蓼科山や、赤岳の方角も見ることができてさ」
「赤岳のまわりの山々は、いつ見ても感慨深いものがあるよな。いかにも岩山、って雰囲気があって」ボクも応じる。「あの険しく見える山々へ自分が何度も登ったことがあるなんて、なんだかちょっと信じられない気がしてきてしまうよ」
「今回も明後日には、またあの赤岳のあたりを通ることになるのね。このまま天気が続いてくれて、予定どおりに進むことができればだけど」
「昨日の夜に家で見てきた天気図と今のこの空模様から判断すると、少なくとも明日までは天気が持ちそうだけどね。どうにかそれが、明後日や明々後日まで続いてくれるといいんだけどな」
 そう言いながらもボクは、決して空模様だけを見ていたわけではない。まわりの山々の景色に気をとられていたわけでもない。
 この時のボクは、すっかり見とれてしまっていたのだ。それらの空や山々を背景にして立っている、ミサトの美しい横顔に。
 かつてボクは何度も、ミサトと一緒に山へ登ったことがあった。山の中でのミサトの姿も、しばしば目にしていた頃があったのだ。
 しかし最近の数年間は、ミサトと山へ登る機会がなかった。このたびボクは実に数年ぶりで、ミサトと山へ来たことになる。
 ミサトと再び、一緒に山へ登ることのできる日が来るなんて。ボクもミサトも大好きな山々の景色の中で、彼女の姿を見ることのできる日が再び訪れるなんて。ボクは一時期、すっかり諦めかけてしまっていたこともあったのに――。
 しかし今、ボクは再びミサトと一緒に山へ戻ってくることができたのだ。あの青い空や山々の景色につつまれたミサトの姿を見ることのできる日が、再び訪れてくれたのだ。それは今のボクにとって、なんと嬉しく感じられることだったろう。(第34章より)

 雨で洗われた後だけに、まわりの木々の緑がみずみずしく見える。梓川の右岸にそびえる穂高連峰や、左岸に迫る六百山などの山並みも美しい。
 そして、空の高いところを流れていく白い雲。時おり河原を吹きぬけて、さわやかな空気を運んできてくれる風。
 そんな全てのものたちに、太陽の光が明るく照りつけている。
 その中に自分もつつまれながらボクは、ふと思わずにはいられなかった。この明るい光の中で今、まさしく世界は新しく生まれ変わろうとしているのだと。
 一つの古い世界が終わり、明るい陽ざしに満ちあふれた新しい世界が生まれようとしているのだと。
 一つの古い時代が終わり、明るい光に満ちあふれた新しい時代が始まろうとしているのだと。
 そしてその中でボクにとっても一つの時代が終わり、今までとは異なる新しい時代が始まろうとしているのだと。
 これまでの十年間が台風と共に過ぎ去り、これからは新しい日々が始まるのだと。
 これまでの十年間はボクにとって、ミサトのことを愛しつづけた日々だった。しかしミサトは、ボクのことを必要としてくれていない。そう思い知らされたボクは昨日の雨の中で、ミサトに対する自分の思いを断ち切ろうと決めたのだ。そしてミサトのことを愛しつづけていた十年間を、昨日の雨に洗い流してしまったのだ。
 そして今日から、ボクにとっての新しい日々が始まる。明日には、ナツヨやトシオたちも上高地へやってくる。
 彼らは今まで、いろいろな場面でボクのことを頼りにしてきてくれた。とりわけナツヨには少し、精神的に不安定な面がある。そのせいもあってか、しばしばボクに打ち明け話や悩みごとの相談を持ちかけてきてくれていたのだ。
 そんな彼らのためならば、ボクも役に立つことができる。ミサトはボクのことを必要としてくれていないが、ナツヨたちは確実にボクのことを頼りにしてくれているのだ。
 だとしたら今後の新しい日々の中でボクは、彼らのためにこそ生きるべきではないのだろうか。
 ミサトのことを愛しつづけるのをやめて新しく生まれ変わったボクは、ボクのことを頼りにしてくれている者たちのためにこそ生きるべきではないのだろうか。
 ボクのことを必要としてくれていて実際にボクが役立てる相手のためにこそ、これからは生きていくべきなのでないだろうか。(第45章より)

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10年ごしのプロポーズ  上: ドラマティックな恋愛実話


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