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29才の手紙.2 [20才と31才の恋話]

 さて。
 いったいいつ頃から、こんなにまでも心の高ぶりが長つづきしなくなってしまったのだろうか。

 昔の人は身を清め部屋を清め墨をすることにより心をおちつけてから、はじめて筆をとったと言う。今のボクにも、そのような手続きを踏むことが必要なのかも知れない。そう考えてボクなりに、みづからの心をふるいたたせて御嬢への返事を書きはじめたはずだったと言うのに。とりあえず先に書きあげた分を書きおえるや否や、すぐ重くるしい疲れにおそわれてしまった。あれだけの手紙では、まだ今のボクの気持ちの1%も伝えることができていないというのにもかかわらず。これも、やはり齢のせいなのだろうか。

 そういえば今度の手紙のなかで御嬢は、書いてくれていたね。「私は文章を書くのがニガテで、思ったことの1%も表せないのです」と。信じてもらえないかもしれないけれど、ボクだって「文章を書くのがニガテ」なんだよ。

 いつだったか、ツグミからもらった手紙にも書かれていたっけ。「あーどうして自分の思っていることを次から次へと文章にできないのでしょう。こういう時は先輩のようになりたいなんて思ってしまう」と。どうやらツグミは、ボクが「自分の思っていることを次から次へと文章にでき」るものと思いこんでしまっているらしい。でも、これは大きなまちがいだ。このツグミからの手紙を読んだ時、ボクはできることならツグミに見せてあげたいものだと思ったね。あちこち書き込みや訂正や矢印だらけで真っ黒になってしまった、ボクからツグミへの手紙の下書きを。

 かかえこんでいる想いが大きければ大きいほど、それを語ろうとするとボクたちの言葉はあまりにも舌たらずだ。そんな時にはそれこそ「思ったことの1%も表せない」にちがいない。しかし1%をいくつも積みかさねていけば、いつかは百%ちかくなってくれるのでなかろうか。そうボクは考えている。いや、少なくともそう信じてボクはこれまで生きてきた。だってそう信じでもしないかぎりひととひととがわかりあうことなんて、いつまでたってもできそうにないじゃないか。

 たとえばさっき今日の昼、ボクが御嬢にあてて書いた手紙。御嬢から年賀状や手紙をもらった時、それによってボクがどれほど励まされ、かつ嬉しかったか。それを先の手紙では、伝えたかったのだけれど。ボクの舌たらずな言葉で今のボクの気持ちが、はたしてどれだけ御嬢に伝わったことだろう。それを思うと、とてもおぼつかない気持ちになる。

 でも、それは仕方のないことだ。あくまでもボクが口下手なのがいけないのだから。ただボクが嘘や偽りのない本当の気持ちを、ていねいに伝えるべく試みつづけていくならば。その想いはいつの日にか、きっと相手の心へとひびいていくはずなのではなかろうか。ひととひととは必ずやわかりあうことができるのだ、と信じていたい。

 さて。
 いったい何の話をしていたんだったっけ。
 そうそう。「生活といううすのろ」についてだったね。

 たとえば今年の四月一日。これを使うようにとボクが今の勤め先から渡された名刺には、主任という肩書きがついていた。正社員でもないのに、主任だなんて。エイプリル・フールの冗談にしても趣味がわるい。さらに今ボクはアメックスことアメリカン・エキスプレス・カードまで持っている。これってある程度以上の企業の正社員でなければ、決して持つことができないはずではなかったのか。しかしたとえ月に四十万かせいでも心の渇きは、決していやされることがない。ひとは決して、お金のために生きているわけではないのだ。

 かつてボクは大学を出てすぐ入った会社をわずかひと月たらずで辞めてしまい、途方にくれていたことがあった。しかも手持ちの金はほとんどすべてひとに貸してしまい、もちろんそれらが返ってくるあてはあるはずもなく、世のなかは今のような人出不足でなかったからたやすくみいりのいい仕事にありつくこともできない。

 そんななかで、しかしボクは今なんかよりもずっと活き活きとした日々をおくっていたのではなかったか。樹々の緑を愛で陽ざしのめぐみに感謝し流れゆく雲を眺めて愉しむ心のゆとりが、あの頃のボクには確かにあったはずではなかったか。確かに将来の不安は重く心にのしかかってくる。でも、それは今だって何らかわらず同じことだ。御嬢のせりふじゃないけれど、あの頃のほうが今よりもボクははるかに「生きているって気がしてい」た。

 だからこそボクは今の御嬢のことを、心から祝福してあげたいと思う。そしてボクには、それができるはずだと思う。言葉つらの上だけでなく、みづからの身につまされるような想いとともに。おそらくはボクの胸のおくそこに眠っていてまだ死にたえてはいないボクの若さがボクに、その力を与えてくれているのだろう。
    四月七日 夕方

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