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29才の手紙.1 [20才と31才の恋話]

(高校生のツグミがUSAへ留学していた一年間、日本における彼女の友人たちの近況などを伝えるために私は彼女へ宛てて手紙を書きました。私が27才だった年から、28才になった年にかけてのことです。この時の手紙の大半は、当塾の「16才と27才の恋話」に「ツグミへの手紙」として収録されています。

 そして私は29才になった年から31才になった年にかけても、ツグミや彼女の友人たちに時おり手紙を書きました。「ツグミへの手紙」にも名前が出てくるツグミ御嬢ナツヨナツ坊)たちに宛ててです。
「16才と27才の恋話」に収録された「10年ごしのプロポーズ」の物語が終わった後、「究極の愛を掴んだ31才」に描かれた出来事が始まるまでの間のことが、これらの手紙には書かれています。

 そこでそれらの手紙のうち、テキスト・ファイルが残っており、しかもプライヴァシー面での問題がないものなどを選んで連載していくことにします。
 そのうち「29才の手紙」では、私が29才だった年に書かれた手紙を掲載します。
 なお公開にあたってプライヴァシー保護などのため、一部の人名は「10年ごしのプロポーズ」や「ツグミへの手紙」に合わせて仮名に変えさせていただきました)

 さて。
 どうやら、ようやく御嬢に宛てて返事を書くことのできる日が来たようだ。長い間お待たせしてしまって、本当に申し訳なかったと思う。これは決して嘘やおざなりで言うのではない。

 先日、ながい間たまりにたまっていた本を竹中書店にひきとってもらった。この竹中書店というのは井伏鱒二氏などともつきあいのある、荻窪では由緒ただしい本屋だ。ひきつづき、もう要らなくなった書類も処分した。段ボール箱ひと箱に納まりきらなかった、というから凄い。この狭い三畳間のいったいどこに、それだけの紙があったというのだろうか。

 そのうえで一昨日だったか、およそ六年ぶりに部屋の模様がえをした。本棚の裏にたまっていた埃も払った。これも、おそらくは数年ぶりのことだったはずだ。春だというのに風邪をひいて勤めを休み、そして治った。佐野元春の曲を聴きまくった。「僕のまわりで確実に何かが進行しつつあるのだ。あたりがはききよめられ、何かが起ころうとしている」(村上春樹「羊をめぐる冒険」より)。

 御嬢へ返事を書くためにボクは、これだけの手続きを踏まなければならなかったのだ。それほどまでに今のボクは汚れきってしまっていた。日々のくらしに埋もれて「素敵なことを素敵だと無邪気に笑える心」(佐野元春 Somedayより)を喪ってしまった。

 おそらく御嬢みづからは、気がついてもいないのだろうけれども。今年に入ってからボクは、もう二度も御嬢によって救われている。

 一度目は、御嬢からの年賀状をうけとった時のことだ。今年のはじめボクは行き場のなくなってしまった想いに責めさいなまれ、落ちこんでいた。誰かに何かを与えてあげることなどボクには、もうできないのかも知れない。そんな風に想われてならなかったものだ。

 だからこそ御嬢からもらった年賀状がその時のボクには、どれほど嬉しく感じられたことか。御嬢からうけとった年賀状によってボクはどれほど励まされ、かつ力づけられたことだろう。「卒業してもずーっと連絡を取りあって、末長くお世話をおかけしたいと思っております」だなんて。ボクにとって、これほど嬉しい言葉が他にあるだろうか。こんなボクでも、まだ誰かの役に立つことができるのかもしれない。そんな夢を御嬢は、ボクに与えてくれたのだ。たとえそれが一時かぎりの、はかない夢にすぎなかったのだとしても。

 そして二度めは、言うまでもない。この間の手紙をうけとった時だ。
 すでにお伝えしたとおり足かけ五年にわたった埋立地がよいをボクは、今年の二月で終えている。そんなボクを待ちうけていたものは、山のような資料。それからふた月でそれらの資料を分析し、A4判で四百頁の報告書を書きあげるという仕事だった。

 みづからが本当に書きたくて書いたものは、少しも金にならない。にもかかわらず強いられてやむなく書いたものは、みづからがかつて手にしたこともないような金で買いとられていく。こういうのが、どれほどそのひとの心をすさませるものか。わかってもらえるだろうか。ボクはすっかり「生活といううすのろ」(佐野元春「情けない週末」より)に重くのしかかられ金銭勘定で動く世のなかのしくみにからめとられてしまって、愛だとか夢だとか言葉にしてしまうと気恥かしいけれどみづからが他ならないそのためにこそ生きていたはずの懐かしい何かを見失いかけてしまっていたのだ。

 そんな時うけとったのが、御嬢からの手紙だった。「文章を書くのがニガテで、思ったことの1%も表せない」という御嬢が「手紙を書かずにはいられ」ない気持ちになってくれ「今の私の1%の気持ち」を真摯に書きつづってくれた手紙だった。

 とても信じがたいことだが、こんなボクにも今より若かった日々がある。みづからの進むべき道を見出すことができずに悩み迷っていた日々がボクにも、かつて確かにあったはずではないのか。はたしてみづからに一つの道をどこまでも歩きつづけていくことができるだけの力があるのかどうかいぶかしがりためらっていた日々が、かつて確かにあったはずではないのか。忙しい日々のなかで思わず忘れかけていたあの頃の想いを御嬢の手紙は、ボクに思いださせてくれた。あの頃の夢をボクの胸に、もう一度とりもどさせてくれたのだ。御嬢に感謝しなければならない、と思う。

 この手紙だけでは今のボクの気持ちの、それこそ1%も伝えることができなかった。しかし今のボクにはまだ、あまり長い手紙を一度に書くことができそうにない。しかたなく、とりあえずここで一度ペンを置くことにしよう。いづれ、また。
    四月七日 昼

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