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『女は何を欲望するか?』 [読者の皆さんと考える]

 これは『女性の快感は強くない?』の頁の続きです。

 斎藤環の著書『関係する女 所有する男』に対して「いとたむろ」さんのblog「うさんくさいblog」の「直感と信念に基づいた思想と現実」の頁では、「私の中では賛否が入り交じってます」と読後感が書かれていました。
 同じ頁で「いとたむろ」さんは「武闘家で思想家の先生の本とブログにハマってた頃」があったと書いておられます。「うさんくさいblog」の別の頁の記述も併せて推測するに、この「武闘家で思想家の先生」とは内田樹だと思われます(内田樹は武闘家ではなく、武道家もしくは武術家ではないかという疑問はありますが)。
 そして『関係する女 所有する男』の中では内田樹が、次のように批判されています。

内田氏の書いた「私がフェミニズムを嫌いな訳」(http://www.tatsuru.com/columns/simple/01.html)などを読めばわかるとおり、氏の批判は「フェミニズム」の本質には全然届いていない。この文章では要するに、自らの主張の正しさに対して疑いを持たない「正義の人」が批判されているだけだ。

 もしかすると「いとたむろ」さんが『関係する女 所有する男』に対して「私の中では賛否が入り交じってます」と書いたのは、ご自分が「ハマってた」内田樹が同書の中で批判されていることも一因だったのかもしれません。
 しかし、この件で斎藤環と内田樹の立場にずれはないと私は考えます。「角川oneテーマ21」の一冊として出版された『女は何を欲望するか?』の中で内田樹は、次のように書いているからです。

 私はフェミニズムに対しては七〇年代まではかなり親和的でした。でも、教条主義と事大主義と肌が合わないので、フェミニズムのまわりにだんだんそういう「鉄棒曳き」的なタイプが集まるにつれて、共感を失ってしまいました。

 つまり内田樹はフェミニズムそのものに対しては「親和的」だったものの、フェミニストのうち「教条主義」や「事大主義」な人たち、すなわち「自らの主張の正しさに対して疑いを持たない『正義の人』」たちに対して批判的なだけなのでしょう。現に『女は何を欲望するか?』を読むと、かなりフェミニズムに対して同情的(と言って悪ければ共感的)なように感じられます。
 ただし『女は何を欲望するか?』を読みかえしてみて一か所、首をひねってしまった記述がありました。それは、次のようなものです。

 物語に没入しているとき、主人公が外国人であれ、動物であれ、あるいは異星人であれ、彼らがテクストの焦点的人物である限り、読者はそのパースペクティヴに同調することを余儀なくされる。これは誰にでも同意いただけることだと思う。女性読者であっても男性主人公に同一化するし、男性読者であっても女性主人公に同一化する。
 例えば、私が『あしながおじさん』や『若草物語』や『赤毛のアン』を読んでいるとき、「誰の視点から」読んでいるかと問われたら、もちろんジェルーシャやジョーやアンに同一化して読んでいると答えるだろう(私が男だから、これらの物語を読みつつ、ジャーヴィーやローリーやギルバートの立場に共感して読んでいるはずだ、と推論するのは間違っている。勝手にそう推論するのは構わないが、それは事実ではない)。実生活では底意地の悪い初老の男でありながら、読みつつある私は、十九世紀の北米東海岸に住む少女たちのささやかな冒険にともに胸躍らせ、ともに傷つき、感動をともにしている。
 同じように、『グレート・ギャツビー』や『ロング・グッドバイ』を耽読しているとき、女性読者の多くもまた、男性主人公たちのハードでジェントルな心性に同一化しているはずである

 しかし私が数年前に『あしながおじさん』を読みかえした時は、あしながおじさんの立場に立って「この娘は私が支援をするにふさわしい人柄のよさを備えているだろうか。支援の対象として彼女を選んだのは、正解だっただろうか」などと考えていたように思います。
 一つには私自身が以前、あしながおじさんのような立場にあった時期があるからかもしれません。

 また、私が『赤毛のアン』の連作を読んでいた時はギルバートの側の立場に立って「アンはギルバートのために自分が尽くすことは全く考えておらず、自分の側が一方的に愛されて尽くされることしか考えていないなあ。これは女性の身勝手な欲望の投影であって、男性である私にはアンは魅力的な女性だと感じられない。なのにどうしてギルバートは、そんなアンなどを愛してしまっているのだろう」などと考えていたのを覚えています。
 このように、女性が主人公の物語を男性の登場人物の視点に立って読む男性は少ないのでしょうか。

 また、当塾には私の実体験に基づいて書かれた「10年ごしのプロポーズ」や「究極の愛を掴んだ31才」などの恋話が掲載されています。
 これらは私が語り手であり視点人物であり、表向きの主人公にもなっています。
 しかしこの二作は、ナツヨが真の主人公だと考えることもできます。
 とりわけ女性の方たちの中には、これらを読みながらナツヨに自分を同一化なさる人も多いのではないでしょうか。
 ぜひとも読者の皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。

 この話は明日、当塾に掲載する予定の「『海辺のカフカ』の性差別」に続きます。
 というかこの話、全部で少なくとも七回は続く予定ですので。

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赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)


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