優しい男と恋する方法.10-1 [皆の恋話]
(拙作「優しい男と恋する方法」の第10章を、当塾に連載しておくことにしました。
「陰のある優しい男性も」の頁で書いたような理由によるものです。
部分的に下記の各頁と重複してしまいますが、上述のような事情によるものですのでご了承ください。
どんな異性を、恋人や結婚相手として選ぶといいのか。これは女性にとっても男性にとっても、とても大きな関心事だと言えるだろう。
たまたま五月さんの場合は「優しい人でさえあれば、経済力にはこだわらない」という考えだった。しかし五月さんのような考え方をする人は、むしろ少数派だと思われる。
女性であれば相手の男性に対して、優しさの他に外見のよさや経済力なども求めるという人の方が、今なお多数派なのではないだろうか。
一方で男性は女性に対して、あまり経済力を求めない傾向がある。しかし優しさの他に外見のよさも求めるという男性が、やはり多数派のはずだ。
しかし、それらの要求が完全に満たされる例は珍しい。残念ながら優しさと外見のよさとが、一人の女性において両立している例は決して多くないからだ。それと同じで優しさと外見のよさと経済力とが、一人の男性において並立している例も珍しい。
優しさと外見のよさや経済力は、一人の人間の中で共存しない場合が多いのだ。
この文章の冒頭で、優男には経済力が伴わない場合が多い理由を説明しておいた。ここではさらに論を進めて、優れた外見や経済力の持ち主に優しい人が少ない理由を説明しよう。
異性の見た目を重んじるのは人間にとって、ごく自然な気持ちだと思われる。
したがって見た目がいい人に対しては、大勢の異性が近寄ってくる可能性が高い。
すなわち見た目がいい人は特に本人の側が何もしなくても、異性に近づいてきてもらえるわけだ。
異性に目を向けてもらうため自分の能力を高めたり、性格をよくするための努力を重ねる必要がない。
したがって見た目のいい人の中には、自分の能力や性格を磨く努力を怠っている人も決して少なくないのだろう。
かく言う私も実は以前、とても外見の美しい女性とつきあった経験がある。
そしてその時、思い知らされる羽目となってしまった。見た目のいい女性が性格もいいとは、決して限らないということを。
その彼女は性格が自己中心的で、とても我がままだったのだ。
聞いてみると彼女は十代の半ば以降、恋人のいなかった時期がほとんどないという。近寄ってくる男性が、いつでも途切れたことがないそうだ。
つきあう相手を得るために、苦労したことがないのだろう。そのため彼女は、異性に好かれるために自分の性格をよくする努力などしたことがないらしい。相手の気持ちを考えたり、相手のために配慮した経験も多くはなかったようだ。その結果として彼女は自己中心的で、我がままな性格になってしまったものと思われる。
こうしてみると性格の優れた異性を選ぶには、見た目のいい人は避けておいた方が無難なのかもしれない。
先ほど書いたとおり「見た目のいい異性に魅かれる」というのは人間にとって、ごく自然な気持ちだ。
しかし人間にとって自然な気持ちが、すなわち「いいこと」だとは限らない。
たとえば「自分のことを最も大事に考えて、そのためには他人を顧みない」というのも、人間にとっては生まれつきの自然な気持ちだと思われる。しかし自分が成長するに伴って、それは乗り越え捨て去るように努めるべきものでしかない。子供から大人へと成長していく過程で「このままではいけない」と気づき、改めなければならないのだ。
おそらく「見た目のいい異性に魅かれる」というのも、それと同じようなものなのではないだろうか。
それは人間の本性にとって自然ではあるものの、実は成長することで乗り越えるべき未熟さでしかないのではないか。
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たまたま五月さんの場合は「優しい人でさえあれば、経済力にはこだわらない」という考えだった。しかし五月さんのような考え方をする人は、むしろ少数派だと思われる。
女性であれば相手の男性に対して、優しさの他に外見のよさや経済力なども求めるという人の方が、今なお多数派なのではないだろうか。
一方で男性は女性に対して、あまり経済力を求めない傾向がある。しかし優しさの他に外見のよさも求めるという男性が、やはり多数派のはずだ。
しかし、それらの要求が完全に満たされる例は珍しい。残念ながら優しさと外見のよさとが、一人の女性において両立している例は決して多くないからだ。それと同じで優しさと外見のよさと経済力とが、一人の男性において並立している例も珍しい。
優しさと外見のよさや経済力は、一人の人間の中で共存しない場合が多いのだ。
この文章の冒頭で、優男には経済力が伴わない場合が多い理由を説明しておいた。ここではさらに論を進めて、優れた外見や経済力の持ち主に優しい人が少ない理由を説明しよう。
異性の見た目を重んじるのは人間にとって、ごく自然な気持ちだと思われる。
したがって見た目がいい人に対しては、大勢の異性が近寄ってくる可能性が高い。
すなわち見た目がいい人は特に本人の側が何もしなくても、異性に近づいてきてもらえるわけだ。
異性に目を向けてもらうため自分の能力を高めたり、性格をよくするための努力を重ねる必要がない。
したがって見た目のいい人の中には、自分の能力や性格を磨く努力を怠っている人も決して少なくないのだろう。
かく言う私も実は以前、とても外見の美しい女性とつきあった経験がある。
そしてその時、思い知らされる羽目となってしまった。見た目のいい女性が性格もいいとは、決して限らないということを。
その彼女は性格が自己中心的で、とても我がままだったのだ。
聞いてみると彼女は十代の半ば以降、恋人のいなかった時期がほとんどないという。近寄ってくる男性が、いつでも途切れたことがないそうだ。
つきあう相手を得るために、苦労したことがないのだろう。そのため彼女は、異性に好かれるために自分の性格をよくする努力などしたことがないらしい。相手の気持ちを考えたり、相手のために配慮した経験も多くはなかったようだ。その結果として彼女は自己中心的で、我がままな性格になってしまったものと思われる。
こうしてみると性格の優れた異性を選ぶには、見た目のいい人は避けておいた方が無難なのかもしれない。
先ほど書いたとおり「見た目のいい異性に魅かれる」というのは人間にとって、ごく自然な気持ちだ。
しかし人間にとって自然な気持ちが、すなわち「いいこと」だとは限らない。
たとえば「自分のことを最も大事に考えて、そのためには他人を顧みない」というのも、人間にとっては生まれつきの自然な気持ちだと思われる。しかし自分が成長するに伴って、それは乗り越え捨て去るように努めるべきものでしかない。子供から大人へと成長していく過程で「このままではいけない」と気づき、改めなければならないのだ。
おそらく「見た目のいい異性に魅かれる」というのも、それと同じようなものなのではないだろうか。
それは人間の本性にとって自然ではあるものの、実は成長することで乗り越えるべき未熟さでしかないのではないか。
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