女子の着替えを見放題? [読者の皆さんと考える]
当塾の「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁に昨日、以下のようなコメントが書かれました。
私の下着泥棒はもっと効率が良かった、それも簡単に、まず学校を休んで家を出ます、私のいた中学校はプールの更衣室は少なくとも、職員室、教室、プール、からは見えないとこでしかもその裏に外につながるスモークの入った大きめの窓があって、外から鍵を頑張って開ければ、授業が終わるまでやりたい放題出来たよ。 その後更衣室の中の縦長ロッカーの一つに入って女子の着替えも見れちゃってました。
宣伝用などではないと思われるコメントが当塾に書かれた場合、私は「どうもありがとうございます」とお礼を申し上げることにしてきました。
でも上のコメントが書かれたことに対して「どうもありがとうございます」とお礼を書くのは、控えておいた方がいいのかもしれませんね。
お礼を申し上げてしまうと、なんだか私も上のコメントに書かれている行為を是認しているかのように思われてしまいそうな気がしますので。
中学時代の私には、本気で愛しているつもりの相手がいました。
その相手のためであれば、自分の人生は犠牲にしてもいいとまで考えていたほどです。
(この件に関しては、当塾の「14才の恋と、サヨナラ.11-9」などの頁をご参照ください)
あるいは逆に、私のことを好きだと言ってくれた何人もの女友だちもいました。
そのどちらでもないけれど、私と仲がいい大勢の女友だちもいました。
もしも、そんな彼女たちの下着を盗んだり着替えを盗み見たりした者がいたとわかったら――
おそらく彼女たちは皆、とても嫌な気分にさせられてしまったことでしょう。
そう考えると私は、そのような行為を決して是認してしまうことはできそうにないのです。
上のコメントや「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁に書かれているのと似た行為が、当塾の「女性の下着を盗み見る男」の頁にも出てきます。
その頁では、星海社新書の一冊として出版された睦月影郎『欲情の文法』の中に出てくる次のようなくだりが引用されているのです。
中学二年生のころ、水泳の授業のときに、教室に女子が脱いだものが置いてあった。男子の授業が早く終わり、先に教室に戻ってきたのである。
五人くらいの仲間で、クラスで一番可愛い女の子の下着を回して見た。さすがに中学生だったから、匂いを嗅ぐような強者はいなかったけれど、みんなで手に取って見たのだ。それが非常に嬉しかった。大して仲がいい五人ではなかったけれど、「俺は、こいつらと死んでもいい」とさえ思うほど感動した。
そのとき、「一人ですると変態になってしまうが、みんなですれば青春だなぁ」と思ったものだ。
しかし『欲情の文法』には、下着を見られてしまった女の子の恥ずかしさを思いやる気持ちも、その子に対して申し訳ないという思いも書かれてはいないのです。
「女性の下着を盗み見る男」の頁でも書きましたように、ここに描かれている行為や心理は「一人で」したのでなくても充分に「変態」だと言うべきでしょう。
それに、ですよ。
「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁で描かれている下着泥棒をしたのは、私にとって懐かしく感じられる旧友たちです。彼らには私自身が助けられたこともありますし、いろいろといい思い出も残っています。
それは「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁でも書かれているとおりです。
しかし「あの時、自分たちは下着泥棒に参加したのにゴトウは加わらなかった」という点では、彼らは一人も私に頭が上がらない立場なのです。
もしも今、彼らに対して私があの時の下着泥棒の話を持ち出したとしたら――他の点ではどれほど私に対して強い立場にいたとしても、彼らは私に逆らうことが全くできなくなってしまうことでしょう。
はてさて、世の男性諸君。皆さんはそんな立場に追いやられてしまう危険を冒してまでも、女性の下着を泥棒したり着替えを盗み見たいと考えますか?
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私の下着泥棒はもっと効率が良かった、それも簡単に、まず学校を休んで家を出ます、私のいた中学校はプールの更衣室は少なくとも、職員室、教室、プール、からは見えないとこでしかもその裏に外につながるスモークの入った大きめの窓があって、外から鍵を頑張って開ければ、授業が終わるまでやりたい放題出来たよ。 その後更衣室の中の縦長ロッカーの一つに入って女子の着替えも見れちゃってました。
宣伝用などではないと思われるコメントが当塾に書かれた場合、私は「どうもありがとうございます」とお礼を申し上げることにしてきました。
でも上のコメントが書かれたことに対して「どうもありがとうございます」とお礼を書くのは、控えておいた方がいいのかもしれませんね。
お礼を申し上げてしまうと、なんだか私も上のコメントに書かれている行為を是認しているかのように思われてしまいそうな気がしますので。
中学時代の私には、本気で愛しているつもりの相手がいました。
その相手のためであれば、自分の人生は犠牲にしてもいいとまで考えていたほどです。
(この件に関しては、当塾の「14才の恋と、サヨナラ.11-9」などの頁をご参照ください)
あるいは逆に、私のことを好きだと言ってくれた何人もの女友だちもいました。
そのどちらでもないけれど、私と仲がいい大勢の女友だちもいました。
もしも、そんな彼女たちの下着を盗んだり着替えを盗み見たりした者がいたとわかったら――
おそらく彼女たちは皆、とても嫌な気分にさせられてしまったことでしょう。
そう考えると私は、そのような行為を決して是認してしまうことはできそうにないのです。
上のコメントや「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁に書かれているのと似た行為が、当塾の「女性の下着を盗み見る男」の頁にも出てきます。
その頁では、星海社新書の一冊として出版された睦月影郎『欲情の文法』の中に出てくる次のようなくだりが引用されているのです。
中学二年生のころ、水泳の授業のときに、教室に女子が脱いだものが置いてあった。男子の授業が早く終わり、先に教室に戻ってきたのである。
五人くらいの仲間で、クラスで一番可愛い女の子の下着を回して見た。さすがに中学生だったから、匂いを嗅ぐような強者はいなかったけれど、みんなで手に取って見たのだ。それが非常に嬉しかった。大して仲がいい五人ではなかったけれど、「俺は、こいつらと死んでもいい」とさえ思うほど感動した。
そのとき、「一人ですると変態になってしまうが、みんなですれば青春だなぁ」と思ったものだ。
しかし『欲情の文法』には、下着を見られてしまった女の子の恥ずかしさを思いやる気持ちも、その子に対して申し訳ないという思いも書かれてはいないのです。
「女性の下着を盗み見る男」の頁でも書きましたように、ここに描かれている行為や心理は「一人で」したのでなくても充分に「変態」だと言うべきでしょう。
それに、ですよ。
「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁で描かれている下着泥棒をしたのは、私にとって懐かしく感じられる旧友たちです。彼らには私自身が助けられたこともありますし、いろいろといい思い出も残っています。
それは「クラスの全男子が下着泥棒?」の頁でも書かれているとおりです。
しかし「あの時、自分たちは下着泥棒に参加したのにゴトウは加わらなかった」という点では、彼らは一人も私に頭が上がらない立場なのです。
もしも今、彼らに対して私があの時の下着泥棒の話を持ち出したとしたら――他の点ではどれほど私に対して強い立場にいたとしても、彼らは私に逆らうことが全くできなくなってしまうことでしょう。
はてさて、世の男性諸君。皆さんはそんな立場に追いやられてしまう危険を冒してまでも、女性の下着を泥棒したり着替えを盗み見たいと考えますか?
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