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あかずの踏切り.1 [皆の恋話]

 東に向いているブラインドから、朝の光がこぼれおちる。時計の針は、すでに九時をまわっていた。休みの間は目ざましを鳴らさない。そのため、いきおい寝坊がちになる。しかし毎日おなじ七時なら七時に無理やり起きるというのは、好きになれないのだ。体がその眠りから起きだしてきて自づと目がさめた時のすがすがしさがいい。幸いこの部屋は東に窓があるので、いつもブラインドを細目にあけておく。晴れた日にはそこから陽がさしこみどうしても目がさめてしまうため、昼ちかくまで寝すごすというようなことはない。目ざましに叩き起こされるのとちがって、朝の光で目をさますというのは気持ちのいいものだ。

 布団からぬけだすと、いきなり寒さが襲ってきた。手ばやく着がえをすませ、ベランダに面した南の窓のカーテンをあけはなつ。なだれこむような光が、まだなかば寝ぼけている目にまぶしい。元旦にしては珍しく晴れわった青空だ。どんよりよどんだ去年の空気を窓をあけて追いだし、かわりに新しい年の空気を迎えいれる。

 部屋をでてダイニング・キッチンへ行くと、そこはひと気もなく冷えきっていた。すでに慣れっこになっているとはいえ正月ともなれば、やはりどこかものわびしい。うす暗いのは北にしか窓がないためだ。あかりをつけ、寒さにこごえながらストーヴに火をいれる。冷たい水で顔を洗うと、さすがに目もさめた。湯をわかしている間に玄関から新聞をとってくる。いつもの倍くらいぶあつい新聞は、しかしこれといって目をひく記事もない。やがてストーヴのぬくもりが少しづつ伝わってきた。わいたお湯でコーヒーをいれる。顔にかかるやわらかい湯気がここちよい。はじめの一口は腹わたにしみいり、体をその内がわから暖めてくれた。

 ひとごこちついてから部屋に戻る。ベランダへ出て手すりに身をまかせた。ガラスのようにはりつめた空気は身を切るように冷たいが、幸い風はない。目の前にひろがるのは、あいかわらずの見なれた白っぽい景色。花壇なんかも造られているちょっとした庭のむこうに、車が一台ようやく通れるほどの細い道がある。もっとも真冬とあっては花壇の花も庭の草木も、すっかり枯れはててしまってはいるが。そして道の向こうには今ボクがいるのと全く同じ形をした四階建ての建物。そう、ここはボクの父が勤めている会社の社宅なのだ。社宅といえばまだ聞こえもいいが、はっきり言うと団地に他ならない。練馬区の石神井にあるため石神井宿舎と普通は呼ばれていた。十棟の建物が横にふたつづつ五列に並んでいる。ボクがいるのは、そのうちの七号棟。そして今、ボクの目の前に建っているのが九号棟だ。ボクの部屋から見る九号棟は北側なため窓も少なく、どこかのっぺりした感じをあたえる。もしボクの部屋から見えるのが、その灰色の壁だけだったとしたら。それはかなり気のふさぐ景色だったことだろう。だが七号棟と九号棟とは少しづつずらして建てられていた。光をとりいれるためだろうか。あるいは、ただ単に土地の都合だったのかもしれない。ボクの部屋は二階のなかでも、いちばん東のはじにある。だから他の部屋は北と南にしか窓がないにもかかわらず、ボクの部屋だけ東に窓があるのだ。そして九号棟は七号棟より、すこし西にずれている。そのためボクの部屋からは九号棟の、さらに南を眺めることもできた。九号棟の向こうを流れているのは石神井川だ。コンクリートでかためられた河岸のはるか下の方に、わずかな水が流れているだけの死にかけた川。しかしそれでも台風の後などは水かさをふやし、忘れかけていた息吹をふきかえす。今にも水があふれるのではないかと気づかわれることさえあるほどだ。そして川のむこうがわには、ちょっとした小高い丘もあった。聞くところによると何やら昔の城跡らしい。

 小学生の頃からもう十年ほどの間、ボクはここで暮している。もちろん去年までは家族も一緒だったのだ。しかし去年の秋、ボクの父親は九州の博多へ転勤になった。そのため両親と妹は、いま博多で暮している。すでに大学へはいっていたボクだけが東京に残ったというわけだ。ひとりで正月を迎えるのはボクにとって、はじめてということになろうか。もちろん親父たちは正月休みを博多ですごすよう、ボクにすすめた。しかしボクのかよっている大学は、後期試験のはじまるのが他の大学より早い。本来の試験期間は一月の後半からだから、他の大学とそんなに違わないのだが。ボクのかよっている大学では今なお学生運動がわりと盛んだ。そして試験期間には学生が大学をのっとり、試験をストライキすることがよくある。そこでいくつかの科目では試験期間をさけ、それより前に試験を行なうということらしい。早い科目では十二月の末に試験があった。そしてそれから一月いっぱいくらいまで試験が続けられる。つまり今や、もう試験期間にはいっているようなものだ。正月だからといって決してのんびりしてはいられない。とても博多まで行っているひまなどないだろう。

 それにしても静かだ。ひとの姿が、どこにも見あたらない。いつもならかすかに聞こえてくる車の音も、今日は全くとだえてしまっている。正月ってのはテクノポリス東京が大手をふって機能しなくなる、今時めずらしい三日間だ。おそらく元旦のこの時刻には、まだ皆それぞれの家でそれぞれの新年を迎えているのだろう。むかし団地のことを人生の整理棚だと言った作家がいたっけ。いつもはおもちゃ箱をぶちまけでもしたように人がごったがえしている東京だ。しかし今日ばかりは皆、その納まるべき棚に納まっている。そして今頃はあのひとつひとつの窓のむこうがわで家族がそろい、おめでとうを言いながら雑煮かなんか食べているのにちがいない。そういえばボクも、そろそろ腹がへってきた。ひとり淋しく餅でも焼いて食べることにしようか。

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