愛と哀しみのおとしぶみ.1 [20才と31才の恋話]
(私は二十代の前後の十数年間、「おとしぶみ」というミニコミ誌の制作に関わっていました。この件に関しては、当塾の「10年ごしのプロポーズ.24-1」や「究極の愛を掴んだ31才.5-1」などの頁でも触れられています。
この「おとしぶみ」の雰囲気を感じとっていただくため、「愛と哀しみのおとしぶみ」という短篇小説を当塾に掲載させていただくことにしました。
連載の途中からは当然、ナツヨも登場します。どうぞ、ご期待ください)
昔々、といってもたかだか十年ほど前のことだが、巷には
ミニコミ誌、
というものがあった。雑誌の中でも、とりわけ発行部数が少ないもののことだ。
今でこそ紙を使った雑誌はすでにすたれてしまい、間もなく滅びることだろうとすら言われている。しかし今から十年ほど前、この国は雑誌であふれかえっていたらしい。いろいろな人が読むための、実にさまざまな雑誌があったのだそうだ。少女たちのための、夢のようなロマンスで彩られた雑誌があった。若者のための、アメリカン・ドリームをかきたてるような雑誌があった。サラリーマンのための、通勤電車のなかで読むことができるような薄い雑誌があった。主婦のための、ダイエットのため鉄アレイがわりに使えるような分厚い雑誌があった。老人たちのための、金さえかければ有名人と同じほど仰々しい死亡広告を出してくれる雑誌があった。
なかにはごく限られた人々のためだけの雑誌もあったのだろう。たとえばエンマムシの研究者のための雑誌だとか(ちなみにエンマムシの研究者は、世界中でも十人くらいしかいないらしい)。あるいは大都市かその近郊に住み、少なくとも平均を超える学歴と年収とがあって、いまだ独身でそこそこに容姿がいい、二十五歳から三十五歳くらいまでの男性のための雑誌だとかというように。どんなことが書かれていたのか、だいたい想像がつこうというものだ。
それらの雑誌のすべてに、必ずしも読み手がいたとは限らない。たいして読み手もいないのに、毎月かなりの部数が刷られていた雑誌もあるという。ブンゲイシと呼ばれるような類の雑誌が、その最たるものだったそうだ。このブンゲイシというのが果たしてどのようなものだったのか、今では資料も少ないためよくわからないのだが。
それらの雑誌のほとんどは、
シュッパンシャ、
と呼ばれるところで作られていた。今で言うところの、広告代理店みたいなものらしい。しかしそれほどまでに盛んだった雑誌を、何も専門のシュッパンシャだけの手に委ねておくことはないだろう。というわけで、まったくの素人が雑誌を出す例もしばしばあったのだという。趣味やあるいは自己満足のために、わりと発行部数の少ない雑誌を、素人が自分たちの手で出してしまったという例が。それらが後に、ミニコミ誌と呼ばれることとなったのだ。
前世紀の終りちかく、この国では
ワープロ、
と呼ばれるものが流行っていた。キーボードから打ちこんだ文字を、紙の上に印刷するための機械だ。どの家にもたいてい一台はあると言われるほど、このワープロは普及していたらしい。
聞くところによると、当時ミニコミ誌が盛んになった裏には、このワープロの力が大きかったのだという。ワープロが生まれたことによって、シュッパンシャが出すそれと同じような見てくれの雑誌を、素人もまた作ることができるようになったのだそうだ。
しかしこのワープロは、わりとすぐにすたれてしまった。それも皮肉なことには、ワープロを産んだのと同じ技術のせいでだ。
前世紀の末には、この国の多くの家庭が
コンピューターによる通信、
で結ばれている。ほとんどの家庭にコンピューターが置かれ、しかもそれらが通信回線でつながれることとなったのだ。誰もが思い立った時すぐに、通信回線を通して情報をやりとりできるようになったわけだもの。いったい誰が今さら時代遅れの紙なんか使って、情報をやりとりしたいと考えるだろうか。
かくしてコンピューターによる通信は、ワープロと雑誌とをすたれさせてしまった。かつて電話が手紙をすたれさせたように。TVが映画をすたれさせたように。ヴィデオがラジオ・スターを殺したように。
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昔々、といってもたかだか十年ほど前のことだが、巷には
ミニコミ誌、
というものがあった。雑誌の中でも、とりわけ発行部数が少ないもののことだ。
今でこそ紙を使った雑誌はすでにすたれてしまい、間もなく滅びることだろうとすら言われている。しかし今から十年ほど前、この国は雑誌であふれかえっていたらしい。いろいろな人が読むための、実にさまざまな雑誌があったのだそうだ。少女たちのための、夢のようなロマンスで彩られた雑誌があった。若者のための、アメリカン・ドリームをかきたてるような雑誌があった。サラリーマンのための、通勤電車のなかで読むことができるような薄い雑誌があった。主婦のための、ダイエットのため鉄アレイがわりに使えるような分厚い雑誌があった。老人たちのための、金さえかければ有名人と同じほど仰々しい死亡広告を出してくれる雑誌があった。
なかにはごく限られた人々のためだけの雑誌もあったのだろう。たとえばエンマムシの研究者のための雑誌だとか(ちなみにエンマムシの研究者は、世界中でも十人くらいしかいないらしい)。あるいは大都市かその近郊に住み、少なくとも平均を超える学歴と年収とがあって、いまだ独身でそこそこに容姿がいい、二十五歳から三十五歳くらいまでの男性のための雑誌だとかというように。どんなことが書かれていたのか、だいたい想像がつこうというものだ。
それらの雑誌のすべてに、必ずしも読み手がいたとは限らない。たいして読み手もいないのに、毎月かなりの部数が刷られていた雑誌もあるという。ブンゲイシと呼ばれるような類の雑誌が、その最たるものだったそうだ。このブンゲイシというのが果たしてどのようなものだったのか、今では資料も少ないためよくわからないのだが。
それらの雑誌のほとんどは、
シュッパンシャ、
と呼ばれるところで作られていた。今で言うところの、広告代理店みたいなものらしい。しかしそれほどまでに盛んだった雑誌を、何も専門のシュッパンシャだけの手に委ねておくことはないだろう。というわけで、まったくの素人が雑誌を出す例もしばしばあったのだという。趣味やあるいは自己満足のために、わりと発行部数の少ない雑誌を、素人が自分たちの手で出してしまったという例が。それらが後に、ミニコミ誌と呼ばれることとなったのだ。
前世紀の終りちかく、この国では
ワープロ、
と呼ばれるものが流行っていた。キーボードから打ちこんだ文字を、紙の上に印刷するための機械だ。どの家にもたいてい一台はあると言われるほど、このワープロは普及していたらしい。
聞くところによると、当時ミニコミ誌が盛んになった裏には、このワープロの力が大きかったのだという。ワープロが生まれたことによって、シュッパンシャが出すそれと同じような見てくれの雑誌を、素人もまた作ることができるようになったのだそうだ。
しかしこのワープロは、わりとすぐにすたれてしまった。それも皮肉なことには、ワープロを産んだのと同じ技術のせいでだ。
前世紀の末には、この国の多くの家庭が
コンピューターによる通信、
で結ばれている。ほとんどの家庭にコンピューターが置かれ、しかもそれらが通信回線でつながれることとなったのだ。誰もが思い立った時すぐに、通信回線を通して情報をやりとりできるようになったわけだもの。いったい誰が今さら時代遅れの紙なんか使って、情報をやりとりしたいと考えるだろうか。
かくしてコンピューターによる通信は、ワープロと雑誌とをすたれさせてしまった。かつて電話が手紙をすたれさせたように。TVが映画をすたれさせたように。ヴィデオがラジオ・スターを殺したように。
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