「究極の愛を掴んだ31才」解説 [20才と31才の恋話]
主人公が31才だった年の3月9日から、あくる年の2月9日まで――「究極の愛を掴んだ31才」は冒頭でも触れられているとおり、そんな約一年間の話として書き始められました。この約一年間に主人公のまわりでは、いろいろな出来事が起こったのです。
しかしこの「幸せになれる恋愛ノウハウ塾」に「究極の愛を掴んだ31才」を掲載したのは、主人公がつかんだ「真実の愛」あるいは「究極の愛」について、読者の皆さんに知っていただくためでした。そして、その目的は第22章までの部分で、すでに果たされたものと思われます。ですので当塾では、この後の話は省かせていただくことにしましょう。
「究極の愛を掴んだ31才」では主人公とヒロインが、席を並べて一緒に働くことになります。その二人が隣同士の部屋に住む、という案も検討されます。こちらの方は、決して実現せずに終わってしまうわけですが。
このように男女が物理的に近い距離にいて、その二人の間の「くっつきそうで、くっつかない」関係が描かれるラヴコメ作品は、とても人気があるようです。なかでも職場と家という二重の意味で二人が近距離にいる作品としては、たとえば星里もちるの描いた漫画『りびんぐゲーム』が一部の読者たちの間で熱狂的に愛読されてきました。
大勢の人たちが憧れる、そんなラヴコメ的な状況を私は、31才にして実際に体験してしまったわけです。作中で主人公も言っているとおり、それは実に楽しくて充実した日々でした。「10年ごしのプロポーズ」で描いた一年間といい、どうやら私はナツヨのおかげで今までの人生に何回も、まるでドラマか小説のような経験をさせてもらったと言えそうですね。
しかし「究極の愛を掴んだ31才」という作品は決して、そのようなラヴコメ的な体験を描くことが最も中心の主題だったわけではありません。そんなラヴコメ的な状況の中で主人公が抱いた「真実の愛」や「究極の愛」を描くことこそが、最も大切な主題だったのです。
「14才の恋と、サヨナラ」の主人公はミドの父親の告別式の夜、「ミドが幸せになるためであれば、自分の将来は犠牲にしてもいい」と考えました。そんな主人公の思いは、ミドに対する「本物の愛」だったと言っていいのではないでしょうか。「14才の恋と、サヨナラ」の解説でも、触れたようにです。
しかし当時の主人公は、なにしろまだ14才でしかありません。「ミドが幸せになるためであれば、自分の将来は犠牲にしてもいい」と考えたのも「若いから充分な思慮のないまま、一時的な興奮の気持ちに基づいて思っただけに過ぎない」と言われてしまう可能性はありました。
その13年半後に「10年ごしのプロポーズ」の主人公は、それまで自分が生きがいとすらしてきた大切なものを手放してまで、ナツヨのために行動することを選びます。それは親が自分の子供に対して抱くのと似たような「真実の愛」だったと言えるのでしょう。「10年ごしのプロポーズ」の解説でも、触れたようにです。
しかしその時点で主人公は、ナツヨのことを恋愛の相手として捉えていたわけではありませんでした。
その主人公が、さらに3年後の「究極の愛を掴んだ31才」の時点ではナツヨに対する「真実の愛」を、はっきりと自分でも自覚するようになっていたのです。そして、そんな主人公の「究極の愛」を描くことこそが、この作品の最も中心的な主題だったわけです。
そんな「真実の愛」や「究極の愛」を私が、しっかりと自覚的に抱くようになったのは、ナツヨという女性と出会って関わったことによるおかげだと言うべきなのでしょう。その意味で私はナツヨに対して、とても感謝をしています。
そして読者の皆さんにとっても、そんな主人公の「究極の愛」の姿は、参考にしていただける部分があるのではないでしょうか。
そう考えたからこそ私は、この「究極の愛を掴んだ31才」の第22章までを当塾に掲載させていただきました。
少しでも「参考になった」とおっしゃってくださる方がいるのだとしたら、わざわざプライヴァシーをさらした甲斐があったと言えるのでしょうね。
註
『究極の愛を掴んだ31才』Kindle版の電子書籍の出版に伴い、第18章以降は当塾での公開を中断させていただきます。
下にある本の画像をクリックすると、その本に関するAmazon.co.jpの該当頁が表示されます。
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しかしこの「幸せになれる恋愛ノウハウ塾」に「究極の愛を掴んだ31才」を掲載したのは、主人公がつかんだ「真実の愛」あるいは「究極の愛」について、読者の皆さんに知っていただくためでした。そして、その目的は第22章までの部分で、すでに果たされたものと思われます。ですので当塾では、この後の話は省かせていただくことにしましょう。
「究極の愛を掴んだ31才」では主人公とヒロインが、席を並べて一緒に働くことになります。その二人が隣同士の部屋に住む、という案も検討されます。こちらの方は、決して実現せずに終わってしまうわけですが。
このように男女が物理的に近い距離にいて、その二人の間の「くっつきそうで、くっつかない」関係が描かれるラヴコメ作品は、とても人気があるようです。なかでも職場と家という二重の意味で二人が近距離にいる作品としては、たとえば星里もちるの描いた漫画『りびんぐゲーム』が一部の読者たちの間で熱狂的に愛読されてきました。
大勢の人たちが憧れる、そんなラヴコメ的な状況を私は、31才にして実際に体験してしまったわけです。作中で主人公も言っているとおり、それは実に楽しくて充実した日々でした。「10年ごしのプロポーズ」で描いた一年間といい、どうやら私はナツヨのおかげで今までの人生に何回も、まるでドラマか小説のような経験をさせてもらったと言えそうですね。
しかし「究極の愛を掴んだ31才」という作品は決して、そのようなラヴコメ的な体験を描くことが最も中心の主題だったわけではありません。そんなラヴコメ的な状況の中で主人公が抱いた「真実の愛」や「究極の愛」を描くことこそが、最も大切な主題だったのです。
「14才の恋と、サヨナラ」の主人公はミドの父親の告別式の夜、「ミドが幸せになるためであれば、自分の将来は犠牲にしてもいい」と考えました。そんな主人公の思いは、ミドに対する「本物の愛」だったと言っていいのではないでしょうか。「14才の恋と、サヨナラ」の解説でも、触れたようにです。
しかし当時の主人公は、なにしろまだ14才でしかありません。「ミドが幸せになるためであれば、自分の将来は犠牲にしてもいい」と考えたのも「若いから充分な思慮のないまま、一時的な興奮の気持ちに基づいて思っただけに過ぎない」と言われてしまう可能性はありました。
その13年半後に「10年ごしのプロポーズ」の主人公は、それまで自分が生きがいとすらしてきた大切なものを手放してまで、ナツヨのために行動することを選びます。それは親が自分の子供に対して抱くのと似たような「真実の愛」だったと言えるのでしょう。「10年ごしのプロポーズ」の解説でも、触れたようにです。
しかしその時点で主人公は、ナツヨのことを恋愛の相手として捉えていたわけではありませんでした。
その主人公が、さらに3年後の「究極の愛を掴んだ31才」の時点ではナツヨに対する「真実の愛」を、はっきりと自分でも自覚するようになっていたのです。そして、そんな主人公の「究極の愛」を描くことこそが、この作品の最も中心的な主題だったわけです。
そんな「真実の愛」や「究極の愛」を私が、しっかりと自覚的に抱くようになったのは、ナツヨという女性と出会って関わったことによるおかげだと言うべきなのでしょう。その意味で私はナツヨに対して、とても感謝をしています。
そして読者の皆さんにとっても、そんな主人公の「究極の愛」の姿は、参考にしていただける部分があるのではないでしょうか。
そう考えたからこそ私は、この「究極の愛を掴んだ31才」の第22章までを当塾に掲載させていただきました。
少しでも「参考になった」とおっしゃってくださる方がいるのだとしたら、わざわざプライヴァシーをさらした甲斐があったと言えるのでしょうね。
註
『究極の愛を掴んだ31才』Kindle版の電子書籍の出版に伴い、第18章以降は当塾での公開を中断させていただきます。
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